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その頃の生活
そのころのせいかつ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者shiro
公開 / 更新2018-11-09 / 2018-10-24
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 暑中休暇が、もう終りに近かつた。私は休暇中の自分の予定が、まだ三分の一も出来てゐないことでヂリヂリしてゐた。それに一ヶ月余りといふものを寝て起きて食ふと言ふ全くその文字通りの日暮しのために、いつときも我慢し切れなくなつてゐた。
 或日父は近頃にない早く、外来患者も病室の方も済まして、表の間の卓に頬肘を突いた儘、縁先の河鹿の鉢をヂツと瞶めてゐた。私はその父を見ると何か言つて見たくなつた。私は下らない刺戟でも欲しい程退屈を感じてゐたのだ。そして余り切望するでもないことでも引つ張り出すより他仕方なかつた。
「お父さん、今から近所に遊びに行つて来ますよ。」
「またそんなことをいふ。一度不可ないつたら不可ない。」
 父は私の小さい時から、内から外へは出来得る限り出さなかつた。外から来る子供だつて大抵は追ひ帰してしまふのであつた。
「此の近所に一軒だつて上品な家はない。みんな下層民の寄り集りぢやあないか。」
 父はさう附け加へた。その語気には父がもはや昂奮してることが明かに見えてゐた。私は父が自分のさうした昂奮のために放つ言葉を、親が子を諭す言葉だと、習慣的に信じて言つてることが俄かに堪らないことに思へ出した。「人間の昂奮とかいふものはさう永続的でないのだから……」――私はそんな理窟を勝手に捏ね揚げて自分の心を制しようと強めた。けれども父は昂奮と一緒に条件的なことを言ふのだから私の自由は狭められるばかりだつた。
「さう酷く言はなくつたつて……お父さん。」
「決して酷くない。」
 父はいやに落付いて言つた。
「それぢやあ図書館に行つて来ますよ。」
「まだそんなことを言ふ。それ程必要な本があれば図書館に行かなくつたつて、私が買つてやると言つてるぢやあないか。」
 さう言つた父は急に立ち上がつて河鹿に手水をやつた。再び元の所に帰つた。そしてまた今更の様に口を切つた。
「それぢやあない、私は学校以外には一切出すまいかとさへ思つてゐる。昨晩もお母さんと話したんだが。」
 私はそれを聞いて本当だとは思へなかつた。何れほんの今発作的に浮んだに過ぎない父の考へだと決め込んだ。
 父は私と反対の方の、床の間の方に顔をグツと向けた。それで私も庭の方を向いて眺めるともなしに躑躅の根本の所を眺めた。私がまだ六つの頃、広島にゐた時、下女に連れられて買ひ物に出ようとすると庭の出口の躑躅の下から蛇が出て来た事を思ひ出した。昨日迄大変暑かつたのにも今日はボンヤリした日が射してゐて、時々夕立でも降らせさうな雲の塊が乾き切つた庭の土を薄暗くしたり、そして稀々しくも地面を匍ふやうな微風が所々に生えた雑草などを揺るので、私の心は思ひ出を巡るに似合はしい気分になつて、その蛇の思ひ出はだんだん拡がつていつた。
 私は自分の胸に今動いてゐるものを掻き消してまた言ひ出した。
「僕はこの休暇中旅行だつてしたことはない…

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