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美少年
びしょうねん
作品ID50624
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集6」 ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年9月22日
入力者門田裕志
校正者持田和踏
公開 / 更新2024-02-18 / 2024-02-12
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「とく子、お地蔵さまの縁日へ連れてってやろう。早く支度をしな」
 美少年が古い乾き切った物干台の上で手を振った。わたしはその声を心待ちに待っていたのではあるが、そう思い取られるのも口惜しいから病室の窓から鼻から上を顔半分のぞかしたまま、ちょっと首をかしげてみせた。なんだかよく聴き取れなかったというしぐさ。すると美少年は案の定、わたしの懸念していた例の暴言癖を出した。
「なんだ、聴えてるくせに、愚図々々してると○ましちまうぞ」
 そら来たなとおもって、わたしは耳の附根まで赭くしてすっくと立上り、このうえ、彼に口を利かせないよう急き込んで怒鳴った。
「わかった、わかった。いますぐに行きますってば」
 物干台と、病室の窓とは、瓦屋根五つ六つ間を距てていた。斜に硫酸臭い錺職の二階の口が柘榴の茂みからのぞいている。敷居の上で網シャツ一枚の職人たちが将棋をさしていたが少年の方をちょっと顧た。
「は は は は、うまくやってるぜ、時公」
 すると美少年はべろんと舌を出してみせた。
 わたしは恥しさに心で嘆きながら、急いでお化粧に取りかかった。附添のお祖母さんはいそいそと支度をして呉れる。
 病院は眼科専門であった。山の手に家のあるわたしがなぜお祖母さんに連れられてこんな下町の病院へ入院したかというと、それほどわたしの眼は難治のものだった。さし当ってどうということもないのだが、瞳にかかったうすい霞は、根が腺病質の体質から生み出された疾患だけに、しつこく永引いた。東京中の評判の眼科医は一通り診て貰った末、ここの院長が名医だという噂で、二ヶ月まえにこの病院に入院したのであった。おそらく病院の取締が寛やかで患者の扱い方が捌けているのもこの病院を繁昌さす原因の一つであったろう。
 山の手から下町へ移って寝起きする少女のわたしにはすべてのものが珍しかった。下町の生活は屋根の生活でもあった。瓦屋根、トタンやブリキ屋根、それ等を海とも花野とも眺め渡しながら、朝夕、見交し合ういくつかの二階の窓、いくつかの物干台に隠見する人間たちは草双紙の中に出て来る人物のように一々、いわくあり気に、しかも手軽るに馴染めそうにも思えた。ましてわたしの病室の窓の、真向きに当る物干台の上にしょっちゅう現れる気さくな少年と、わたしが親しくなれたのになんの手間暇はいらなかった。空地の少い下町では物干台は運動場でもあり庭でもあった。そこの朝顔鉢に少年はよく水をやりに出た。
「あんな綺麗な男の子、見たことはありませんよ。聘んでお酒でも飲ましてやりたいようだねえ」
 そういってお祖母さんは少年をとうとう病室へ呼び寄せてしまった。
 このお祖母さんは永らくの間、大名屋敷の奥勤めをして、何事にも躾はやかましい方だったから、この少年に対するお祖母さんの仕方はわたしを驚かせた。お祖母さんは奥勤め中たまさかの休みに芝居見物に行き贔…

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