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噴水物語
ふんすいものがたり
作品ID50625
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集6」 ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年9月22日
入力者門田裕志
校正者石井一成
公開 / 更新2013-11-22 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「それはヘロドトスの古希臘伝説中の朴野な噴水からアグリッパの拵えた羅馬市中百五つの豪壮な噴水、中世の僧院の捏怪な噴水、清寂な文芸復興期の噴水、バロッコ時代の技巧的な噴水――どれもみな目に見えぬものを水によって見ようとする人間の非望を現わしたものではないでしょうか」
「これも理想を追求する人間意慾の現れと見るときには、あまりに雛型過ぎて笑止なおもちゃじみた事柄ですが」
「だが英国くらい昔から噴水に縁の無い国はありませんわ」と若い夫人は老いたる良人のロジャー氏と私を交る交る見て笑いながら言った。
 或る年の夏である。ロンドンのチェルシーに住む室内設計家エム・ロジャー氏の客間である。私はロジャー氏の新しく作った室内仕掛けの新噴水を見物するためにエドナ夫人から招かれた。夫人はただ古典詩人というばかりでなく東洋に非常に興味を持つというので、その招待は東洋の婦人の私に近付きを求める為めでもあった。

 新噴水は大広間の床を大きく楕円形に掘り窪めて、その底に据えられてあった。
 短い柱から肋骨のように左右相対に細長い水盤が重なって出ている。上は短かく次々と少しずつ長くなって、最後の盤はペリカンの嘴のように長い。盤の一つ一つは独木舟を差し込んだように唐突で単純に見えるが、その底は傾斜して水の波浪性を起用し、盤の突端までに三段の水沫を騰らしている。
 水を圧し上げ、水を滴らす仕掛けとしてはこれで充分である。而も与えられたる水量を最も時間的空間的に形式表現化する方法手段に於ても経済的効果を極めている。(今ではこの様式のものは珍らしくもないが、当時独仏の表現派芸術が漸やく普遍実用化されて、家具や室内装飾に盛んに取り付け出された時代に、この様式の噴水は欧洲でも珍らしかった。まして英国では異端の方であった。)
 私は床から四段ばかり階段になって下ったこの噴水の窪地へ降りて、ロジャー氏の説明を聴いた。ロジャー氏は齢のせいか少しとぼとぼする気魄を無理に緊張させるように警句を使ったり、誇張した譬えを持って来たりして、私に新噴水の力学上の関係や構造の近代性を頻りに説明した。磊落を装っているが、若い愛妻の詩的精神に使役されて、如何にこの噴水構造に苦心したかを暗に談話のうちにほのめかした。そしてやや疲労して来ると、若い夫人から絡みつかれている無形の電気網を振り切るように肘を頻りに後へ排する癖があった。
 だんだん会談に疲れたか、氏は「科学は情熱だからね」と殆ど泣き笑いとでもいうべき語調を床にいる夫人の方へ投げかけた。夫人は素知らぬ顔で水量の平衡を保って、如何にも健全そうな噴水を、とみこう見していたが、
「なに言ってらっしゃるのです」と床から私のいる窪へ階段を降りて来た。
「あなたがいくら巧者なことを仰っしゃっても駄目ですわ、この噴水には水の仙女が一人も現れていませんわ」
「そらまた始まった」
 …

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