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一席話
いっせきばなし |
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作品ID | 50770 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ / 泉 鏡太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店 1942(昭和17)年10月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2011-09-05 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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上總國上野郡に田地二十石ばかりを耕す、源五右衞と云ふ百姓の次男で、小助と云ふのがあつた。兄の元太郎は至極實體で、農業に出精し、兩親へ孝行を盡し、貧しい中にもよく齊眉き、人づきあひは義理堅くて、村の譽ものなのであるが、其の次男の小助は生れついたのらくらもの。晝間は納屋の中、鎭守の森、日蔭ばかりをうろつく奴、夜遊びは申すまでもなし。色が白いのを大事がつて、田圃を通るにも編笠でしよなりと遣る。炎天の田の草取などは思ひも寄らない。
兩親や兄の意見などは、蘆を吹く風ほども身に染みないで、朋輩同士には、何事にも、直きに其の、己が己ががついて[#挿絵]つて、あゝ、世が世ならばな、と口癖のやうに云ふ。尤も先祖は武家出であらうが、如何にも件の、世が世ならばが、友だちの耳に觸つて聞苦しい。自然につきあつて遊ぶものも少なくなる。對手もなければ小遣もなく、まさか小盜賊をするほどに、當人氣位が高いから身を棄てられず。内にのら/\として居れば、兩親は固より、如何に人が好いわ、と云つて兄じや人の手前、据膳を突出して、小楊枝で奧齒の加穀飯をせゝつては居られぬ處から、色ツぽく胸を壓へて、こゝがなどと痛がつて、溜息つく/″\と鬱いだ顏色。
これが、丸持の祕藏子だと、匙庵老が脈を取つて、氣鬱の症でごわす、些とお氣晴を、と來て、直ぐに野幇間と變化る奴。父親合點の母親承知で、向島へ花見の歸りが夜櫻見物と成つて、おいらんが、初會惚れ、と云ふ寸法に成るのであるが、耕地二十石の百姓の次男では然うは行かない。
新田の太郎兵衞がうまい言を言つた。小助が鬱ぐなら蚯蚓を煎じて飮ませろと。何が、藥だと勸めるものも、やれ赤蛙が可い事の、蚯蚓が利く事の、生姜入れずの煎法で。小判處か、一分一ツ貸してくれる相談がない處から、むツとふくれた頬邊が、くしや/\と潰れると、納戸へ入つてドタリと成る。所謂フテ寢と云ふのである。
が、親の慈悲は廣大で、ソレ枕に就いて寢たと成ると、日が出りや起る、と棄てては置かぬ。
傍に着いて居て看病するにも、遊ぶ手はない百姓の忙しさ。一人放り出して置いた處で、留守に山から猿が來て、沸湯の行水を使はせる憂慮は決してないのに、誰かついて居らねばと云ふ情から、家中野良へ出る處を、嫁を一人あとへ殘して、越中の藥賣が袋に入れて置いて行く、藥ながら、其の優しい手から飮ませるやうに計らつたのである。
嫁はお艷と云つて、同國一ノ宮の百姓喜兵衞の娘で、兄元太郎の此が女房。束ね髮で、かぶつては居るけれども、色白で眉容の美しいだけに身體が弱い。ともに身體を休まして些と樂をさせようと云ふ、其にも舅たちの情はあつた。しかし箔のついた次男どのには、飛だ蝶々、菜種の花を見通しの春心、納戸で爪を磨がずに居ようか。
尤も其までにも、小當りに當ることは、板屋を走る團栗に異ならずで、蜘蛛の巣の如く袖褄を引いて居たのを、柳…