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番茶話
ばんちゃばなし
作品ID50778
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2011-09-29 / 2014-09-16
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 小石川傳通院には、(鳴かぬ蛙)の傳説がある。おなじ蛙の不思議は、確か諸國に言傳へらるゝと記憶する。大抵此には昔の名僧の話が伴つて居て、いづれも讀經の折、誦念の砌に、其の喧噪さを憎んで、聲を封じたと言ふのである。坊さんは偉い。蛙が居ても、騷がしいぞ、と申されて、鳴かせなかつたのである。其處へ行くと、今時の作家は恥しい――皆が然うではあるまいが――番町の私の居るあたりでは犬が吠えても蛙は鳴かない。一度だつて贅澤な叱言などは言はないばかりか、實は聞きたいのである。勿論叱言を言つたつて、蛙の方ではお約束の(面へ水)だらうけれど、仕事をして居る時の一寸合方にあつても可し、唄に……「池の蛙のひそ/\話、聞いて寢る夜の……」と言ふ寸法も惡くない。……一體大すきなのだが、些とも鳴かない。殆どひと聲も聞えないのである。又か、とむかしの名僧のやうに、お叱りさへなかつたら、こゝで、番町の七不思議とか稱へて、其の一つに數へたいくらゐである。が、何も珍しがる事はない。高臺だから此の邊には居ないのらしい。――以前、牛込の矢來の奧に居た頃は、彼處等も高臺で、蛙が鳴いても、たまに一つ二つに過ぎないのが、もの足りなくつて、御苦勞千萬、向島の三めぐりあたり、小梅の朧月と言ふのを、懷中ばかり春寒く痩腕を組みながら、それでものんきに歩いた事もあつたつけ。……最う恁う世の中がせゝつこましく、物價が騰貴したのでは、そんな馬鹿な眞似はして居られない。しかし此の時節のあの聲は、私は思ひ切れず好きである。處で――番町も下六の此邊だからと云つて、石の海月が踊り出したやうな、石燈籠の化けたやうな小旦那たちが皆無だと思はれない。一町ばかり、麹町の電車通りの方へ寄つた立派な角邸を横町へ曲ると、其處の大溝では、くわツ、くわツ、ころ/\ころ/\と唄つて居る。しかし、月にしろ、暗夜にしろ、唯、おも入れで、立つて聽くと成ると、三めぐり田圃をうろついて、狐に魅まれたと思はれるやうな時代な事では濟まぬ。誰に何と怪しまれようも知れないのである。然らばと言つて、一寸蛙を、承りまする儀でと、一々町内の差配へ斷るのでは、木戸錢を拂つて時鳥を見るやうな殺風景に成る。……と言ふ隙に、何の、清水谷まで行けばだけれど、要するに不精なので、家に居ながら聞きたいのが懸値のない處である。
 里見[#挿絵]さんが、まだ本家有島さんに居なすつた、お知己の初の頃であつた。何かの次手に、此話をすると、庭の池にはいくらでも鳴いて居る。……そんなに好きなら、ふんづかまへて上げませう。背戸に蓄つて御覽なさい、と一向色氣のなささうな、腕白らしいことを言つて歸んなすつた。――翌日だつけ、御免下さアい、と耄けた聲をして音訪れた人がある。山内(里見氏本姓)から出ましたが、と言ふのを、私が自分で取次いで、はゝあ、此れだな、白樺を支那鞄と間違へたと言ふ、名物の爺さん…

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