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祭のこと
まつりのこと |
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作品ID | 50782 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ / 泉 鏡太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店 1942(昭和17)年10月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2011-10-05 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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いまも中六番町の魚屋へ行つて歸つた、家内の話だが、其家の女房が負ぶをして居る、誕生を濟ましたばかりの嬰兒に「みいちやん、お祭は、――お祭は。」と聞くと、小指の先ほどな、小さな鼻を撮んぢやあ、莞爾々々、鼻を撮んぢやあ莞爾々々する。
山王樣のお渡りの、猿田彦命の面を覺えたのである。
それから、「お獅子は? みいちやん。」と聞くと、引掛けて居る半纏の兩袖を引張つて、取つてはかぶり、取つてはかぶりしたさうである。いや、[#「いや、」は底本では「いや、、」]お祭は嬉しいものだ。
――今日は梅雨の雨が、朝から降つて薄ら寒い。……
潮は其の時々變るのであらうが、祭の夜は、思出しても、何年にも、いつも暗いやうに思はれる。時候が丁ど梅雨にかゝるから、雨の降らない年の、月ある頃でも、曇るのであらう。また、大通りの絹張の繪行燈、横町々々の紅い軒提灯も、祭禮の夜は暗の方が相應しい。月の紅提灯は納涼に成る。それから、空の冴えた萬燈は、霜のお會式を思はせる。
日中の暑さに、酒は浴びたり、血は煮える。御神輿かつぎは、人の氣競がもの凄い。
五十人、八十人、百何人、ひとかたまりの若い衆の顏は、目が据り、色は血走り、脣は青く成つて、前向き、横向き、うしろ向。一つにでつちて、葡萄の房に一粒づゝ目口鼻を描いたやうで、手足の筋は凌霄花の緋を欺く。
御神輿の柱の、飾の珊瑚が※[#「火+發」、U+243CB、218-5]と咲き、銀の鈴が鳴据つて、鳳凰の翼、鷄のとさかが、颯と汗ばむと、彼方此方に揉む状は團扇の風、手の波に、ゆら/\と乘つて搖れ、すらりと大地を斜に流るゝかとすれば、千本の腕の帆柱に、衝と軒の上へまつすぐに舞上る。……
わつしよ、わつしよ、わつしよ、わつしよ。
もう此時は、人が御神輿を擔ぐのでない。龍頭また鷁首にして、碧丹、藍紅を彩れる樓船なす御神輿の方が、います靈とともに、人の波を思ふまゝ釣るのである。
御神輿は行きたい方へ行き、めぐりたい方へめぐる。殆ど人間業ではない。
三社樣の御神輿が、芳原を渡つた時であつた。仲の町で、或引手茶屋の女房の、久しく煩つて居たのが、祭の景氣に漸と起きて、微に嬉しさうに、しかし悄乎と店先に彳んだ。
御神輿は、あらぬ向う側を練つて、振向きもしないで四五十間ずつと過ぎる。まく鹽も手に持つたのに、……あゝ、ながわづらひゆゑ店も寂れた、……小兒の時から私も贔屓、あちらでも御贔屓の御神輿も見棄てて行くか、と肩を落して、ほろりとしつゝ見送ると、地震が搖つて地が動き、町が此方へ傾いたやうに、わツと起る聲と齊しく、御神輿は大波を打つて、どどどと打つて返して、づしんと其處の縁臺に据つた。――其の縁臺がめい込んで、地が三尺ばかり掘下つたと言ふのである。女房は即座に癒えて、軒の花が輝いた。
揃の浴衣をはじめとして、提灯の張替へをお出し置き下さい、へい…