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真夏の梅
まなつのうめ
作品ID50783
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
初出「女性 第十巻第三号」プラトン社、1926(大正15)年9月1日
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2024-09-07 / 2024-09-04
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 梅や漬梅――梅や漬梅――は、……茄子の苗や、胡瓜の苗、……苗賣の聲とは別の意味で、これ、世帶の夏の初音である。さあ、そろ/\梅を買はなくては、と云ふ中にも、馴染の魚屋、八百屋とは違つて、此の振賣には、値段に一寸掛引があつて、婦たちが、大分外交を要する。……去年買つたのが、もう今に來るだらう、あの聲か、その聲か、と折から降りみ降らずみの五月雨に、きいた風流ではないが、一ぱし、聲のめきゝをしよう量見が、つい、ものに紛れて、うか/\と日が經つと、三聲四聲、一日に幾度も續いたのが、ばつたり來なくなる。うつかりすると、もう間に合はない。……だら/\急で、わざ/\八百屋へ註文して取寄せる時分には、青紅、黄青、それは可、皺んで堅いのなど、まじりに成つて、粒は揃つても質が亂れる。然も、これだと梅つける行事が、奧樣、令夫人のお道樂に成つて、取引がお安くは參らない。お慰みに遊ばす、お臺所ごつことは違ふから、何でも、早い時、「たかいぢやないかね、お前さん、」で、少々腕まくりで談判する、おつかあ、山のかみの意氣でなくては不可い。で、億劫だから買ひはぐす事が毎度ある。それに、先と違つて、近頃では、其の早いうちに用意をしても、所々の寄せあつめもの、樹の雜種が入交つて、紅黄、青玉の如くあるべきが、往々にして烏合の砂利なるが少くない。久しい以前、逗子に居た時、坂東二番の靈場、岩殿寺觀世音の庵の梅を分けて貰つた事がある。圓澤、光潤、傳へきく豐後梅と云ふのが此だらうと思ふ名品であつた。旅行して見るに、すべて、京阪地は梅が佳い。南地の艷の家といふので、一座の客は、折からの肉羹に添へて、ぎうひ昆布で茶漬るのに、私は梅干を頼んだが、實に佳品で、我慢ではない、敢て鯛の目を羨まなかつた。場所がらの事だし、或は漬もの屋から臨時に取寄せたものかも知れないが、紅潤にして、柔軟、それで舌にねばらない。瓶詰ものの、赤い汁がばしやばしやと溢れて、噛むとガリヽと來て、肉と核との間から生暖い水の、ちゆうと垂れるのとは撰が違ふ。京都大宮通お池の舊家、小川旅館のも、芳香尚ほ一層の名品であつた。東北地方のは多く乾びて堅い。汽車の輕井澤の辨當には、御飯の上に、一粒梅干が載せてある。小さくて堅い、が清く潔い事に異論はない。最もつい通りの旅人が、道中で味ふのは、多くは賣品である。すべて香のものの中にも、梅は我が家に於て漬けるのを、色香ともに至純とする。
 うろ覺えの、食鑑曰。――
凡梅干者。上下日用之供、上有鹽梅相和義。下有收蓄貨殖之利而。不可無者也。至其清氣逐邪之性。以可通清明。
 含めば霧を桃色に披いて、月にも紅が照添はう。さながら、食中の紅玉、珊瑚である。
 またそれだけに、梅を漬けるのは、手輕に、胡瓜、茄子、即席、漬菜のやうには行かない。最も、婦人は身だしなみ、或場合つゝしみを要する、と心あるものは戒める。蓋し山妻野娘の…

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