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間引菜
まびきな |
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作品ID | 50784 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ / 泉 鏡太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店 1942(昭和17)年10月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2011-11-04 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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わびしさ……侘しいと言ふは、寂しさも通越し、心細さもあきらめ氣味の、げつそりと身にしむ思の、大方、かうした時の事であらう。
――まだ、四谷見つけの二夜の露宿から歸つたばかり……三日の午後の大雨に、骨までぐしよ濡れに成つて、やがて着かへた後も尚ほ冷々と濕つぽい、しよぼけた身體を、ぐつたりと横にして、言合はせたやうに、一張差置いた、眞の細い、乏しい提灯に、頭と顏をひしと押着けた處は、人間唯髯のないだけで、秋の蟲と餘りかはりない。
ひとへに寄縋る、薄暗い、消えさうに、ちよろ/\またゝく……燈と言つては此一點で、二階も下階も臺所も内中は眞暗である。
すくなくも、電燈が點くやうに成ると、人間は横着で、どうしてあんなだつたらうと思ふ、が其はまつたく暗かつた。――實際、東京はその一時、全都が火の消えるとともに、此の世から消えたのであつた。
大燒原の野と成つた、下町とおなじ事、殆ど麹町の九分どほりを燒いた火の、やゝしめり際を、我が家を逃出たまゝの土手の向越しに見たが、黒煙は、殘月の下に、半天を蔽うた忌はしき魔鳥の翼に似て、燒殘る炎の頭は、その血のしたゝる七つの首のやうであつた。
……思出す。……
あらず、碧く白き東雲の陽の色に紅に冴えて、其の眞黒な翼と戰ふ、緋の鷄のとさかに似たのであつた。
これ、夜のあくるにつれての人間の意氣である。
日が暮れると、意氣地はない。その鳥より一層もの凄い、暗闇の翼に蔽はれて、いま燈の影に息を潛める。其の翼の、時々どツと動くとともに、大地は幾度もぴり/\と搖れるのであつた。
驚破と言へば、駈出すばかりに、障子も門も半ばあけたまゝで。……框の狹い三疊に、件の提灯に縋つた、つい鼻の先は、町も道も大きな穴のやうに皆暗い。――暗さはつきぬけに全都の暗夜に、荒海の如く續く、とも言はれよう。
蟲のやうだと言つたが、あゝ、一層、くづれた壁に潛んだ、波の巖間の貝に似て居る。――此を思ふと、大なる都の上を、手を振つて立つて歩行いた人間は大膽だ。
鄰家はと、穴から少し、恁う鼻の尖を出して、覗くと、おなじやうに、提灯を家族で袖で包んで居る。魂なんど守護するやうに――
たゞ四角なる辻の夜警のあたりに、ちら/\と燈の見えるのも、うら枯れつゝも散殘つた百日紅の四五輪に、可恐い夕立雲の崩れかゝつた状である。
と、時々その中から、黒く拔出して、跫音を沈めて來て、門を通りすぎるかとすれば、閃々と薄のやうなものが光つて消える。
白刃を提げ、素槍を構へて行くのである。こんなのは、やがて大叱られに叱られて、束にしてお取上げに成つたが……然うであらう。
――記録は愼まなければ成らない。――此のあたりで、白刃の往來するを見たは事實である。……けれども、敵は唯、宵闇の暗さであつた。
其の暗夜から、風が颯と吹通す。……初嵐……可懷い秋の聲も、いまは遠く遙に隅…