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みつ柏
みつがしわ
作品ID50785
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2011-10-13 / 2014-09-16
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

曠野

「はゝあ、此の堂がある所爲で==陰陽界==などと石碑にほりつけたんだな。人を驚かしやがつて、惡い洒落だ。」
 と野中の古廟に入つて、一休みしながら、苦笑をして、寂しさうに獨言を云つたのは、昔、四川[#挿絵]都縣の御城代家老の手紙を持つて、遙々燕州の殿樣へ使をする、一刀さした威勢の可いお飛脚で。
 途次、彼の世に聞えた鬼門關を過ぎようとして、不案内の道に踏迷つて、漸と辿着いたのが此の古廟で、べろんと額の禿げた大王が、正面に口を赫と開けてござる、うら枯れ野に唯一つ、閻魔堂の心細さ。
「第一場所が惡いや、鬼門關でおいでなさる、串戲ぢやねえ。怪しからず霧が掛つて方角が分らねえ。石碑を力だ==右に行けば燕州の道==とでもしてあるだらうと思つて見りや、陰陽界==は氣障だ。思出しても悚然とすら。」
 飛脚は大波に漾ふ如く、鬼門關で泳がされて、辛くも燈明臺を認めた一基、路端の古い石碑。其さへ苔に埋れたのを、燈心を掻立てる意氣組で、引[#挿絵]るやうに拂落して、南か北か方角を讀むつもりが、ぶる/\と十本の指を震はして、威かし附けるやうな字で、曰く==陰陽界==とあつたので、一竦みに縮んで、娑婆へ逃出すばかりに夢中で此處まで駈けたのであつた。が、此處で成程と思つた。石碑の面の意を解するには、堂に閻魔のござるが、女體よりも頼母しい。
「可厭に大袈裟に顯はしたぢやねえか==陰陽界==なんのつて。これぢや遊廓の大門に==色慾界==とかゝざあなるめえ。」
 と、大分娑婆に成る。
「だが、恁う拜んだ處はよ、閻魔樣の顏と云ふものは、盆の十六日に小遣錢を持つてお目に掛つた時の外は、餘り喝采とは行かねえもんだ。……どれ、急がうか。」
 で、兩つ提へ煙管を突込み、
「へい、殿樣へ、御免なせいまし。」と尻からげの緊つた脚絆。もろに揃へて腰を屈めて揉手をしながら、ふと見ると、大王の左右の御傍立。一つは朽ちたか、壞れたか、大破の古廟に形も留めず。右に一體、牛頭、馬頭の、あの、誰方も御存じの――誰が御存じなものですか――牛頭の鬼の像があつたが、砂埃に塗れた上へ、顏を半分、べたりとしやぼんを流したやうに、したゝかな蜘蛛の巣であつた。
「坊主は居ねえか、無住だな。甚く荒果てたもんぢやねえか。蜘蛛の奴めも、殿樣の方には遠慮したと見えて、御家來の顏へ[#挿絵]を掛けやがつた。なあ、これ、御家來と云へば此方人等だ。其の又家來又家來と云ふんだけれど、お互に詰りませんや。これぢや、なんぼお木像でも鬱陶しからう、お氣の毒だ。」
 と、兩袖を擧げて、はた/\と拂つて、颯と埃を拭いて取ると、芥に咽せて、クシヤと圖拔けな嚏をした。
「ほい。」と云ふ時、もう枯草の段を下りて居る、嚏に飛んだ身輕な足取。
 まだ方角も確でない。旅馴れた身は野宿の覺悟で、幽に黒雲の如き低い山が四方を包んだ、灰のやうな渺茫たる荒野を足にまかせ…

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