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飯坂ゆき
いいざかゆき
作品ID50793
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
初出「東京日日新聞 第一六〇九二号~一六〇九八号」東京日日新聞社、1921(大正10)年7月21日~27日
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-08-05 / 2018-08-28
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 旅は此だから可い――陽氣も好と、私は熟として立つて視て居た。
 五月十三日の午後である。志した飯坂の温泉へ行くのに、汽車で伊達驛で下りて、すぐに俥をたよると、三臺、四臺、さあ五臺まではなかつたかも知れない。例の梶棒を横に見せて並んだ中から、毛むくじやらの親仁が、しよたれた半纏に似ないで、威勢よくひよいと出て、手繰るやうにバスケツトを引取つてくれたは可いが、續いて乘掛けると、何處から繰出したか――まさか臍からではあるまい――蛙の胞衣のやうな管をづるりと伸ばして、護謨輪に附着けたと思ふと、握拳で操つて、ぶツ/\と風を入れる。ぶツ/\……しゆツ/\と、一寸手間が取れる。
 蹴込へ片足を掛けて待つて居たのでは、大に、いや、少くとも湯治客の體面を損ふから、其處で、停車場の出口を柵の方へ開いて、悠然と待つたのである。
「ちよツ、馬鹿親仁。」と年紀の若い、娑婆氣らしい夥間の車夫が、後歩行をしながら、私の方へずつと寄つて來て、
「出番と見たら、ちやんと拵ツて置くが可いだ。お客を待たして、タイヤに空氣を入れるだあもの。……馬鹿親仁。」と散溢れた石炭屑を草鞋の腹でバラリと横に蹴つて、
「旦那、お待遠樣づらえ。」何處だと思ふ、伊達の建場だ。組合の面にかゝはる、と言つた意氣が顯れる。此方で其の意氣の顯れる時分には、親仁は車の輪を覗くやうに踞込んで、髯だらけの唇を尖らして、管と一所に、口でも、しゆツ/\息を吹くのだから面白い。
 さて、若葉、青葉、雲いろ/\の山々、雪を被いだ吾妻嶽を見渡して、一路長く、然も凸凹、ぐら/\とする温泉の路を、此の親仁が挽くのだから、途中すがら面白い。
 輕便鐵道の線路を蜿々と通した左右の田畑には、ほの白い日中の蛙が、こと/\、くつ/\、と忍笑ひをするやうに鳴いた。
 まだ、おもしろい事は、――停車場を肱下りに、ぐる/\と挽出すと、間もなく、踏切を越さうとして梶棒を控へて、目當の旅宿は、と聞くから、心積りの、明山閣と言ふのだと答へると、然うかね、此だ、と半纏の襟に、其の明山閣と染めたのを片手で叩いて、飯坂ぢやあ、いゝ宿だよと、正直を言つたし。――後に、村一つ入口に樹の繁つた、白木の宮、――鎭守の社を通つた。路傍に、七八臺荷車が、がた/\と成つて下り居て、一つ一つ、眞白な俵詰の粉を堆く積んだのを見た時は……
「磨砂だ、磨砂だ。」と氣競つて言つた。――
「大層なものだね。」
 實際、遠く是を望んだ時は――もう二三日、奧州の旅に馴れて山の雪の珍しくない身も、前途に偶と土手を築いて怪しい白氣の伏勢があるやうに目を欹てたのであつた。



 荷車挽は、椿の下、石燈籠の陰に、ごろ/\休んで居る。
「飯坂の前途の山からの、どん/\と出ますだで。――いゝ磨砂だの、これ。」と、逞しい平手で、ドンと叩くと、俵から其の白い粉が、ふツと立つ。
 ぱツと、乘つて居るものの…

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