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道中一枚絵 その二
どうちゅういちまいえ そのに
作品ID50802
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
初出「九州日日新聞」1904(明治37)年1月1日
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2024-11-04 / 2024-11-03
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(彌次郎兵衞)や歸つて來た、べらぼうに疾いな、何うした。(喜多八)えゝ、車で行つて來たものですから。(彌次)其にしても馬鹿に疾いわ、汝が出掛けてから、見ねえ、未だ銚子が三本とは倒れねえ。第一、此姉さんを口説いて、其返事をきかねえ内だぜ。(女中)存じませんよ。(彌次)や、返事は其か、と額を撫でて、こりや鬱がせる、大に鬱ぐね、己も鬱ぐが喜多八、汝も恐しく鬱ぐぢやないか、何か、又内證で[#挿絵]ころが喰ひたさに、金子でも借に行つたのぢやないか、さもしい料簡は止せ、京都三條通一寸上る邊栗屋與太九郎以來道中で驕らせようとすると飛んだ目に逢ふ。
 喜多八何となく樂まず。(喜多)否留守だつたんです。(彌次)フム、(喜多)實は其の東京を出る時から此の靜岡へ着いたら是非尋ねて見よう、久々で逢つて話したいと、樂みにして居たんです。
(彌次)はゝあ、大分執心と見える、別懇な人か。
(喜多)別懇な……何です、親友の細君なんです。
(彌次)何だ細君、細君なら女ぢやないか。
(喜多)實は女なんですが。喜多八は言ひ惡さう。
(彌次)此の野郎、と苦笑。(喜多)若い同士結婚をすると、間もなく私の親友は病氣で亡くなつたんです。其の細君と六十餘になる病身な父親とを殘して亡くなつたんです。勿論、財産といつてはない處へ、主人に死なれちや動きが取れません、細君の實家といふのは別に物持といふほどではありませんが、引取つて再縁をさせるに、別に差支はないのですから、年紀は少し容色は好し、一先づ離縁をと、度々申込んださうですけれど、今の世に珍しい。(彌次)はてな。(喜多)一度良人を持つた上は、何處までも操を守り通すと、これはまあ、思ひ合つた同志、然も若い内當座然う言ふのは別に不思議なこともありませんが、其の細君には未だ外に、自分が出ては便のない舅の世話を誰がしよう、見す/\翌日からの暮も覺束ないといふ條件があつたんです。(彌次)はてな、と膝を進めて殆ど無意識に差出す猪口に、女中も默つて酌をする。
 喜多は膳を前に丁と坐つて、卷莨を斜めに眞鍮の火鉢のふちで輕く叩いて、細君は教育があつて、殊に生れつき針仕事に手が利いたのを、東京で又其專門の學校で仕上げた人なんですから、不幸か、幸か、直ぐ其術が用に立つて、人仕事をして暮を立てて居たさうですが、生前にはいくら懇意にしたつて、友人の亡い後へは、若い者が此で、何となく更まつて行惡いもんですから、つい尋ねもしません。
 其内先方でも暮しの都合で、彼方此方引越たり何かしたもんですから、居所も知れなくなつたんです。其内江戸川端の狹い汚い路地で、細君が後齒の減つた下駄を雪のやうな拇指で、蝮を拵へて穿いて、霜の降りた朝、井戸繩に縋つて束ね髮の窶れた姿で、水を汲んで居たつて、見かけたものに聞いたんです。彌次杯を置いて煙管を銜へ、ふむ、しかし厭にいふな。(喜多)いゝえ其がです。後に此…

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