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ひだりのまど
作品ID50804
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
初出「新小説 第九年第七巻」1904(明治37)年7月1日
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2024-09-07 / 2024-09-04
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今年四月二十九日、新橋發、汽車は午前六時半なれども、三十日を前に控へたれば、未だ夜の明けぬに出立つ。夜逃の體に似たるかな。旅馴れぬ身のしをらしくも心急きたるなり。柳の翠ほのぼのと、丸の内を馳らすれば、朝靄のやゝ動くが、車の轍にまとひ、薄綿の大路靜に、停車場に着く。
 あわたゞしき漢の習とて、待つ間もどかしく、とかくして汽車に乘れば、瞬く間に品川なり。
驛路や茶屋の柳の朝ぼらけ
 と同行の喜多八、句にもあらず我にもあらず呟く。電車の通ふ品川を驛路といふも旅の心なるべし。彌次はたゞ窓より顏を差出して、左手の海を視めしが、あけ行く漣の、旭に對して、後朝の風情ならなくに、我が顏あまりに寢惚けたり。
 こゝに携ふる處の吸筒を開き、四邊に氣を兼ねつゝ、そツと飮む。
 六郷にて、
猪口を手に渡越すなり春の旅
 大船にてサンドイツチを買ひ、一折を分ちて賞翫す、此の處の名物なりとぞ。
花菫やゝハイカラの思あり
 野もせに由縁の色のなつかしきに、いつか武藏の國も過ぎつ。箱根路近うなるほどに、山蔭なる薊一本、いと丈高きも行く春や、汽車の音も、山の姿も、おどろ/\しくなりもて行く。
山北にて
早乙女の一人はものをおもふらし
 出征軍人を送る旗五旒ぞ立ちたりける。
佐野
げげ花や富士の裾野の二三反
 沼津にて辨當を買ふ、
(喜多)また半分づゝ食べるの。
(彌次)人聞きの惡いことをいひなさんな。大船のはアリヤ洒落だ、一寸餡ころ餅といふ處よ。辨當はちやんと二人前買ひます、安心しておいで。イヤ又いろ/\名物をば食はせよう。
(喜多)山北には香魚の鮨があつたつけ。
 彌次默して答へず、煙草を吹かすこと頻なり。
辨當の菜も鰯よ長閑さよ
 所謂上等なるものにあらず、なみにて鯛の尾頭はおよびもなし。
 この驛より、六十餘の老爺、少き京美人と同伴なるが乘込む。箱根の温泉のかへりと見えたり。女、おゆるしやと前を通る。
女つれてつむり光の春の人
 曰く老爺を嘲る也、或はいふ羨む也。
原(午後一時)
永き日を馬車に乘り行く飴屋かな
 畷路にドンドコ、ドンドコゆるき調子の太鼓聞えて、荷とともに飴屋が乘りて、悠々と馬車こそ通れ。
 野の花は菫たんぽぽ、黄に又紫に、おのがじし咲きたる中を、汽車の衝と過ぐる、至る處、色鳥の亂れ飛ぶ状なりしが。此のあたり又一入紫雲英の花盛にて、彼の田も、此の田も、あれ/\といふまゝに、左右前後皆薄紅の日中なる、苗代蒼く富士白し。
紅のげげの花川見ゆるなり
吉原にてお天氣曇る
薄雲や野末はげげの花明り
 かけ川の宿にて、停車場より此方を差覗く者あり、柳の黒髮、島田にや、由井に行く?と見る間に人に紛れにけり。
菜の花をちよと掛川や水車
 小夜の中山晩景。
古寺や谷をこぞりて鳴く蛙
 このあたりより雨もよひとなる。程なく大井川近づけば、前途遙かに黄昏の雲の中に、さゝ濁りの大河の色、輝く…

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