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月夜車
つきよぐるま
作品ID50824
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻十三」 岩波書店
1941(昭和16)年6月30日
初出「毎日電報」1910(明治43)年3月6日
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2023-09-07 / 2023-08-29
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 宴會と云ふが、優しい心ざしの人たちが、なき母親の追善を營んだ、其の席に列なつて、式も盞も濟んだ、夏の夜の十時過ぎを、袖崎と言ふ、………今年東京の何某大學の國文科を卒業して、故郷へ歸省中の青年が山の麓を川に添つて、下流の方へ車を走らして歸つて來た。やがて町に近い、鈴の緒と云ふ橋が、河原の晃々と白い、水の蒼い、對岸の暗い、川幅を横に切つて、艷々と一條架る。袂に黒く、こんもりと濃い緑を包んで、遙かに星のやうな遠灯を、ちら/\と葉裏に透す、一本の榎の姿を、前に斜に見た處で、
「車夫、」
 と上から聲を懸けた。
「待つとくれ。」
「へい、」
「其處へ。一寸、右へ入つて貰ひたいな。」
 ト車は、急に石[#挿絵]路に、がた/\と音を立てて山の裾へ曳込んだが、ものの半町もなしに、直ぐ上り口の、草深い嶮い坂に成るのであるから、默つて居ても其處で留まつた。
「旦那、何うなさります。」
「下せ。」
 と云ふ時、袖崎に續いて、背後から並んで來た五六臺の車が、がら/\と川縁を、町へ差して通過ぎる。看板の薄黄色い灯が、幕を開けた舞臺を走る趣に見えた。
 尤も彼の前にも車が續いた。爾時、橋の上をひら/\肩裾の薄く濃く、月下に入亂れて對岸へ渡つた四五人の影も見えた。其等は徒歩で、些と早めに宴會を辭した連中。初夜過ぎの今頃を如何に夏の川縁でも人通りは絶えてない。人も車も、いづれ列席したものばかりで、……其の前後の車の中から、彼は引外して、此處に入つて來たのである。
 氣の可い中親仁だつた。車夫は、楫棒を上げたまゝ捻向いて、
「草場の夜露が酷うございますで、旦那、お袴の裾が濡れませう。乘つていらつしやいまし。ええ、何んでござります、最う彼是然うして待ちますほどの事もござりますまい。お連の方は皆通過ぎて了つたやうでござりますで、大概大丈夫でござりませう。徐々曳出して見ませうで。いや、何うも其の、あれでござりますよ。つい此のお酒と言ひますものが、得て其の素直に内へお歸りになり憎いものでござりまして、二次會とか何とか申しますんで、えへゝ、」
 と人の好い笑ひ聲。
「あゝ、若い衆何かい、連のものが、何處か二次會へ引張出さうとして、私を中へ引挾んだ、……其れを外したのだと思つたのかい。」
「へい、それ引込め、と仰有りますから、精々目着りませんやうに、突然蝋燭を消して來たでござります。山の蔭に成りますで、車一臺は月夜でも、一寸目には着きますまいと思ひまして、へい。」と云つて、些と間拍子の拔けた、看板をぶらり笠の下へ釣つて見せた。が、地方の事とて、番號もなく茫と白い。
「御深切、御深切、」
 と笑つて、
「然うぢやないのだ。まあ下りよう。」
「へい、お待ちなさいまし、石[#挿絵]で齒が軋みますで。」と蹲つて、ぐい、と楫を壓へる。
 其處へ下りた。
「しかし、然う思つたのは道理だよ、同伴が同伴だからね…

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