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上海游記
しゃんはいゆうき
作品ID51215
著者芥川 竜之介
文字遣い新字新仮名
底本 「上海游記・江南游記」 講談社文芸文庫、講談社
2001(平成13)年10月10日
入力者門田裕志
校正者岡山勝美
公開 / 更新2015-05-24 / 2015-04-06
長さの目安約 70 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 海上

 愈東京を発つと云う日に、長野草風氏が話しに来た。聞けば長野氏も半月程後には、支那旅行に出かける心算だそうである。その時長野氏は深切にも船酔いの妙薬を教えてくれた。が、門司から船に乗れば、二昼夜経つか経たない内に、すぐもう上海へ着いてしまう。高が二昼夜ばかりの航海に、船酔いの薬なぞを携帯するようじゃ、長野氏の臆病も知るべしである。――こう思った私は、三月二十一日の午後、筑後丸の舷梯に登る時にも、雨風に浪立った港内を見ながら、再びわが長野草風画伯の海に怯なる事を気の毒に思った。
 処が故人を軽蔑した罰には、船が玄海にかかると同時に、見る見る海が荒れ初めた。同じ船室に当った馬杉君と、上甲板の籐椅子に腰をかけていると、舷側にぶつかる浪の水沫が、時々頭の上へも降りかかって来る。海は勿論まっ白になって、底が轟々煮え返っている。その向うに何処かの島の影が、ぼんやり浮んで来たと思ったら、それは九州の本土だった。が、船に慣れている馬杉君は、巻煙草の煙を吐き出しながら、一向弱ったらしい気色も見せない。私は外套の襟を立てて、ポケットへ両手を突っこんで、時々仁丹を口に含んで、――要するに長野草風氏が船酔いの薬を用意したのは、賢明な処置だと感服していた。
 その内に隣の馬杉君は、バアか何処かへ行ってしまった。私はやはり悠々と、籐椅子に腰を下している。はた眼には悠々と構えていても、頭の中の不安はそんなものじゃない。少しでも体を動かしたが最後、すぐに目まいがしそうになる。その上どうやら胃袋の中も、穏かならない気がし出した。私の前には一人の水夫が、絶えず甲板を往来している。(これは後に発見した事だが、彼も亦実は憐れむべき船酔い患者の一人だったのである。)その目まぐるしい往来も、私には妙に不愉快だった。それから又向うの浪の中には、細い煙を挙げたトロオル船が、殆船体も没しないばかりに、際どい行進を続けている。一体何の必要があって、あんなに大浪をかぶって行くのだか、その船も当時の私には、業腹で仕方がなかったものである。
 だから私は一心に、現在の苦しさを忘れるような、愉快な事許り考えようとした。子供、草花、渦福の鉢、日本アルプス、初代ぽんた、――後は何だったか覚えていない。いや、まだある。何でもワグネルは若い時に、英吉利へ渡る航海中、ひどい暴風雨に遇ったそうである。そうしてその時の経験が、後年フリイゲンデ・ホルレンデルを書くのに大役を勤めたそうである。そんな事もいろいろ考えて見たが、頭は益ふらついて来る。胸のむかつくのも癒りそうじゃない。とうとうしまいにはワグネルなぞは、犬にでも食われろと云う気になった。
 十分ばかり経った後、寝床に横になった私の耳には、食卓の皿やナイフなぞが一度に床へ落ちる音が聞えた。しかし私は強情に、胃の中の物が出そうになるのを抑えつけるのに苦心していた。この…

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