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不思議な島
ふしぎなしま
作品ID52
著者芥川 竜之介
文字遣い新字新仮名
底本 「芥川龍之介全集5」 ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日
初出「随筆」1924(大正13)年1月
入力者j.utiyama
校正者かとうかおり
公開 / 更新1999-01-10 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 僕は籐の長椅子にぼんやり横になっている。目の前に欄干のあるところをみると、どうも船の甲板らしい。欄干の向うには灰色の浪に飛び魚か何か閃いている。が、何のために船へ乗ったか、不思議にもそれは覚えていない。つれがあるのか、一人なのか、その辺も同じように曖昧である。
 曖昧と云えば浪の向うも靄のおりているせいか、甚だ曖昧を極めている。僕は長椅子に寝ころんだまま、その朦朧と煙った奥に何があるのか見たいと思った。すると念力の通じたように、見る見る島の影が浮び出した。中央に一座の山の聳えた、円錐に近い島の影である。しかし大体の輪郭のほかは生憎何もはっきりとは見えない。僕は前に味をしめていたから、もう一度見たいと念じて見た。けれども薄い島の影は依然として薄いばかりである。念力も今度は無効だったらしい。
 この時僕は右隣にたちまち誰かの笑うのを聞いた。
「はははははは、駄目ですね。今度は念力もきかないようですね。はははははは。」
 右隣の籐椅子に坐っているのは英吉利人らしい老人である。顔は皺こそ多いものの、まず好男子と評しても好い。しかし服装はホオガスの画にみた十八世紀の流行である。Cocked hat と云うのであろう。銀の縁のある帽子をかぶり、刺繍のある胴衣を着、膝ぎりしかないズボンをはいている。おまけに肩へ垂れているのは天然自然の髪の毛ではない。何か妙な粉をふりかけた麻色の縮れ毛の鬘である。僕は呆気にとられながら、返事をすることも忘れていた。
「わたしの望遠鏡をお使いなさい。これを覗けばはっきり見えます。」
 老人は人の悪い笑い顔をしたまま、僕の手に古い望遠鏡を渡した。いつかどこかの博物館に並んでいたような望遠鏡である。
「オオ、サンクス。」
 僕は思わず英吉利語を使った。しかし老人は無頓着に島の影を指さしながら、巧みに日本語をしゃべりつづけた。その指さした袖の先にも泡のようにレエスがはみ出している。
「あの島はサッサンラップと云うのですがね。綴りですか? 綴りはSUSSANRAPです。一見の価値のある島ですよ。この船も五六日は碇泊しますから、ぜひ見物にお出かけなさい。大学もあれば伽藍もあります。殊に市の立つ日は壮観ですよ。何しろ近海の島々から無数の人々が集まりますからね。……」
 僕は老人のしゃべっている間に望遠鏡を覗いて見た。ちょうど鏡面に映っているのはこの島の海岸の市街であろう。小綺麗な家々の並んだのが見える。並木の梢に風のあるのが見える。伽藍の塔の聳えたのが見える。靄などは少しもかかっていない。何もかもことごとくはっきりと見える。僕は大いに感心しながら、市街の上へ望遠鏡を移した。と同時に僕の口はあっと云う声を洩らしそうになった。
 鏡面には雲一つ見えない空に不二に似た山が聳えている。それは不思議でも何でもない。けれどもその山は見上げる限り、一面に野菜に蔽われ…

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