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野の墓
ののはか
作品ID52195
著者岩本 素白
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆55 葬」 作品社
1987(昭和62)年5月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-09 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 流離のうちに秋が来た。まだ彼岸だといふのに、ある朝、合服を着て往来へ出たら、日蔭の片側が寒くて、われ知らず日の当る方を歩いて居た。やはり信濃路だなと思つた。毎朝見る姨捨山の姿がくつきりとして来て、空はいよ/\青かつた。
 この町へ来てもう三月近くになる。終戦にはなつたが、このさき日本がどうなるのか分らないやうに、私達の身の振り方も、どうすればよいのか、皆目見当が付かなかつた。文字通り無一物で焼け出されて、生れて初めての田舎住まひであつた。それも東京ではずつと静かな所に住んで来たのに、此処は小さい町ながら其の中心に当る所である。向う側に此の辺ではやや大きい総二階の旅館があつて、その隣りは休業中の料亭が二軒、その一軒には些かの庭もあつて、門に会席の看板を掛けて居た。直ぐ隣りが小さい郵便局、薬局、よろづ屋、電気器具商、続いて低い、暗い、馬鹿に横巾の広い理髪店。さういふ周囲であつた。
 私達親娘三人は、戦争で休業して居る商家の二階の六畳、八畳、十畳といふ三部屋を借りて居た。その八畳は本格的の座敷になつて居て、二間の床の間があり、来た時には世界地図が掛つて居た。私が笑ひながら、少し殺風景過ぎることを云ふと、当主の母である、しつかり者らしい年寄りが、案外気安く大和絵の幅を掛けてくれた。疎開といへば佗しい限りのものと思ひ、わるくすれば蚕室、物置を改造した所にもはいるつもりで居たのに、実に予想以外のことであつた。色々事情はあつたが、そもそも戦火に遭ふということから、又思ひがけぬ信州へ来るといふことから、かうした場所に落着くといふことまで、自然さうなるやうな廻り合せであつた。私はさういふ廻り合せにぢたばたせず、静かに随ふやうな気持で毎日を過して居た。今迄の職業も経歴も告げず、この二階を私達に譲つて行つた親戚の者の、信用され又多少尊敬されても居る蔭に身を寄せて、無為な不可解な毎日を送つて居た。
 中学も女学校も有るのに、町にはまるきり物資が無かつた。膳の代りに使はうと探した丸い木の盆さへ得られなかつた。紙筆は勿論、粗末な手帳のやうなものも無かつた。長野市へ出て、やつと買つて来た信濃名所集と云ふ、恐らく新刊当時のまま残つて居たらしい本と、反点だけ付いた論語集註とを時々開いて読んだ。長野市の書店も品物は疎開でもしたと見え、時局向きの小冊子類がばら/\店に並べてあつた。古本屋で見つけた方の名所集が、少し今の心を慰めるだけのものであつた。そんな本に飽きると、私はよく裏手の低い山へ登つて、其処から周囲の山々を眺めた。遥かに姨捨駅の赤い屋根が見え、やや右寄りの方には、千曲川向うの塩崎の長谷寺の大きな茅屋根が見えた。
 そんな山歩きの間に、漆かはぜにでも触れたと見えて、急に手や顔が腫れてむず痒く、ひどく気分が重くなつた。丁度その少し前、ある日表の窓から往来を見ると、寂しい葬列が下を通つて居…

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