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こがらし
こがらし
作品ID52199
副題――南駅余情――
――みなみえきよじょう――
著者岩本 素白
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆37 風」 作品社
1985(昭和60)年11月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-09 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 こがらし、筑波おろし、そういう言葉を明治中期の東京の少年達は早くから知って居た。そうして其の言葉を、自分達の書くものの中などにも使って居た。それは寒さが今よりも早く来たし、衣料も今のように温い毛の物などが無く、風がひどく身に沁みて、始終人がそういう言葉を口にしたからであった。十一月三日という日は何時も霜が深く、時にはみぞれが小雪になるような日さえあった。子供達は大抵紀州ネルのシャツを着ていて、それは袖口に瀬戸物のボタンの有るものであった。無論マントなどというものは着なかったのである。いや、それよりも、東京市中には殆ど高層建築というものがなく、地勢によっては、何処からでも富士も筑波も見通しで、分けても北の筑波おろしが身に沁みたのである。
 一の酉が済んで七五三の祝い日ごろに成ると、大拡の木の葉が吹き落され、毎日こがらしが吹きすさむ。夜は戸を閉めて灯の色が暖く、人けも多くなるので、何か拠りどころが有るような気がするが、昼間吹く空ッ風は明るいだけに妙に頼りなく、風の子の子供達にさえ索漠としておちつかない気持を与える。こんな日に火事があると大変だな、遊んで居た子供がふとそんなことを言い出す。それは大風の日、神田から火事が出ると、きまって京橋鉄砲洲まで燃え抜けるという伝えを、常々年寄達も云って居たし、現に近頃神田に起った火事が、翌日の午後になってもまだ消えずに居たことを知って居るからであった。当時町なかでない静かな所に住んで居た私の家にさえ、一人々々が背負うように、連尺という紐の着いた小つづらが残って居たし、又火事の時に雑物を入れて運び出すために、用心籠と称する長持のような大きな竹籠が用意されて居た程であった。
 そういう晩秋の或る日、私が独りで外で遊んで居ると、不意に耳近くビューという、而もそれが多少高低曲折のある、いやむしろ微妙なと云ってもよい程の風の音のするのに気がついた。見るとそれは、直ぐ近くに掛けてある物干竿の一本が鳴って居るのであった。遠く近く集って一つの声になって居るこがらしの声は何時も聞いて居たが、こう身近な一つの物に風が当って、而もそれが微妙な音を立てて居るのに気がついたのは初めてであった。少年の私は「こがらし」の正体を見付けたような気がして、此の何でもない不思議に暫く注意を集めて居た。こういう、東京もこがらしの烈しかった時代に、私は品川の奥に住んで御殿山の小学校に通って居た。晩秋初冬の頃になると、毎日烈しい風の音が気味わるく、大通りからは遥かに遠い場所であるのに、ひどく火事を恐れる子供であった。そうして、そのいやなこがらしが吹く或る薄曇った寒い月に、私は近所の寺の裏手の墓地へ耶蘇教の葬式が来ることを知って、無気味に思った。
 その寺というのは、元は近くの大きな寺の塔頭の一つであったのだろうが、それは或る大名の菩提所で、今は其の家の控邸になって居て…

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