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寺町
てらまち
作品ID52200
著者岩本 素白
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆90 道」 作品社
1990(平成2)年4月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-09 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 樹の多い山の手の初夏の景色ほど美しいものはない。始めは樹々の若芽が、黒々とした枝の上に緑の点を打って、遠く見ると匂いやかに煙って居るが、その細かい点が日ごとに大きくなって、やがて一刷毛、黄の勝った一団の緑となるまで、日々微妙な変化を示しながら、色の深さを増して行くのは、朝晩眺め尽しても飽きない景色である。
 五月の日に光るかなめの若葉、柿の若葉。読我書屋の狭い庭から、段々遠い林に眼をやって、更にあたりの景色に憧れ、ふら/\家を出るのもこの頃である。明るい日は照りながら、どこか大気の中にしっとりとした物があって、梅雨近い空を思わせる。どこかで頓狂に畳を叩く音のするのは、近く来る大掃除の心構えをして居るのであろう。荒物屋、煎餅屋、煙草屋、建具屋、そういう店に交って、出窓に万年青を置いたしもた屋の、古風な潜りのある格子戸には、「焼きつぎ」という古い看板を掛けた家がある。そんな町の中に、珍しい商売の樒問屋があったりして、この山の手の高台の背を走る、狭い町筋の左右に、寺の多いことを語って居る。その町にある狭い横丁、それは急な下り坂になって、小家がちの谷の向うが、又上り坂で、その先は若葉で隠れて居るようなところもある。
 そういう低みにはきっと小さな寺があって、その門前には御府内八十八箇所第何番という小さな石が立って居るのである。その又寺の裏には更に細い横丁があって、それを曲って見ると、すぐ後ろは高台で、その下が些かの藪畳になって居る。垣根とも樹だちともつかぬ若葉の樹の隙から、庵室めいた荒れた建物が見え、墓地らしい処も有るので、覗き込んで見ると其の小家の中には、鈍い金色を放つ仏像の見えることもある。そうかと思うと、古い門だけが上の町に立って居て、そこから直ぐ狭い石段が谷深く続き、その底に小さな本堂の立って居るような寺もある。初夏の頃は、その本堂が半ば若葉に埋もれて、更に奥深く静かな趣を見せて居る。
 そういう町を、五月の晴れた朝ぶら/\歩いて居ると、その低い谷底の本堂の前に、粗末な一挺の葬い駕籠が着いて居る。門前に足を止めて見下ろすと、勿論会葬者などの群れは無くて、ただその駕籠を舁いで来たらしい二三の人足の影が見えるばかりである。東京では、このごろ駕籠の葬式というものは殆ど見掛けなくなって居る。駕籠の中の棺の上に、白無垢や浅黄無垢を懸け、ほんの僅かの人々に送られて、静かに山の手の寺町を行く葬式を見るばかり寂しいものはないが、これこそ真に死というものの、寂しさ静けさを見る気持がして、色々の意味から余りに華やかになり過ぎた今の葬儀を見るよりは、はるかに気もちの良いものである。私は暫くこの門前に散歩の足を止めて、この景色を眺めて居た。
 昔東京では提灯引けといって、言わば狐鼠々々と取片附けるというような葬いは、夜の引明けに出したものだそうであるが、それ程ではなくともこうした…

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