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六日月
むいかづき
作品ID52201
著者岩本 素白
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆58 月」 作品社
1987(昭和62)年8月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 朝早く一乗寺村を歩いて、それから秋晴の八瀬大原、帰りに鞍馬へ登って山端の駅まで戻って来ると、折から小春日の夕日を受けた叡山が、ぽか/\と如何にも暖かそうな色をして居るので、つい誘われて再び八瀬へ取って返し、其処から山を踰えて坂本へ下りてしまった。我れながら余りの愚しき勇猛が悔いられて、その夜は心静かに高台寺の下を歩く。
 秋も漸く深い夜を、東山の影は黒々と眠って居たが、恵比須講の灯に明るい四条通り、殊に新京極の細い小路にはいる辺りは、通り切れぬほどの人出であった。四条大橋を渡って華やかな祇園の通りは、暢ん気に歩いて居れば何時通っても楽しいところである。八つ橋、豆板、京洛飴、或はかま風呂、おけら餅、土地の名物を売る店に交って、重々しい古代裂を売る家や、矢立、水滴、鍔、竿など小さな物を硝子棚一杯に列べた骨董屋などが並んで居る。そういう中に、古い由緒をもった原了廓の祇園名物香煎の店の交って居るのは京なればこそである。久しい以前、やはり秋に来た折のこと、この店に枯木のようなお婆さんが袖無し羽織を着て、蹲るように坐って居たが、今はもう其の人の姿も見られない。正面の石段を上って祇園の社へはいる。春は人出でいきれ返るというが、私はいつも夏か秋にのみ京都へ来るので、その春の雑沓を知らない円山公園へ、此の社を抜ける。さして狭からぬ境内ではあるが、神寂びた余りの冷たさはなく、秋の今宵の静けさの中にも、何処か一脈の温かさ柔かさを湛えて居るのは、立て連ねた灯籠の灯の色からばかりではなく、下の華やかな町の空気が此処まで延びて居るせいであろう。それでも参詣人の石畳を歩く音、賽銭箱に小銭の当る音までが、遠く離れた辺りへ幽かに聞えて来るのも流石に秋らしい。薄い夜霧のかかった参道の傍に、銭を入れると自然と箱から出るおみくじを、灯籠の灯に読んで居るのはただの女である。然し場所柄だけに、多少の風情がないでもない。春は唯この一ともとに雑沓するという老木の枝垂れ桜は葉も落ちて、ただ黒々とさながら宵寝という姿であるのを、疎らな人通りの誰顧みる者もなく、平野屋の栗めしの立て看板が夜目にも白々として、少し前までは時刻がらごった返して居たらしいのが、今は掛けつらねた提灯のみが明るく、少しは静かになった風である。知恩院へはいる横の門は、昼間に引換えて人通りも無く、まるで大きな洞の口のように暗く開いて居るので、其処から引返して、がらんとした角の茶亭の白けた灯を右に見て、高台寺の方へ歩いて行く。
 大雅堂跡の碑のある辺は、木立の蔭で一層暗い。此処まで来て、今までつい気がつかなかった六日の月が、眉をあげた空の辺りに細く冴えた光を懸けて居るのを美しいと思った。あたりは宵闇でもなく、月夜でもないほの明るさである。一寸曲って更にまっすぐの道が高台寺下の静かな通りであるが、その道は帰りのことにして、その一ツ下の通りを南に…

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