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国貞えがく
くにさだえがく |
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作品ID | 529 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「鏡花短篇集 川村二郎編」 岩波文庫、岩波書店 1987(昭和62)年9月16日 |
入力者 | 今中一時 |
校正者 | 青木直子 |
公開 / 更新 | 1999-12-16 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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一
柳を植えた……その柳の一処繁った中に、清水の湧く井戸がある。……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金の為替を請取って、三ツ巻に包んで、ト先ず懐中に及ぶ。
春は過ぎても、初夏の日の長い、五月中旬、午頃の郵便局は閑なもの。受附にもどの口にも他に立集う人は一人もなかった。が、為替は直ぐ手取早くは受取れなかった。
取扱いが如何にも気長で、
「金額は何ほどですか。差出人は誰でありますか。貴下が御当人なのですか。」
などと間伸のした、しかも際立って耳につく東京の調子で行る、……その本人は、受取口から見た処、二十四、五の青年で、羽織は着ずに、小倉の袴で、久留米らしい絣の袷、白い襯衣を手首で留めた、肥った腕の、肩の辺まで捲手で何とも以て忙しそうな、そのくせ、する事は薩張捗らぬ。態に似合わず悠然と落着済まして、聊か権高に見える処は、土地の士族の子孫らしい。で、その尻上がりの「ですか」を饒舌って、時々じろじろと下目に見越すのが、田舎漢だと侮るなと言う態度の、それが明かに窓から見透く。郵便局員貴下、御心安かれ、受取人の立田織次も、同国の平民である。
さて、局の石段を下りると、広々とした四辻に立った。
「さあ、何処へ行こう。」
何処へでも勝手に行くが可、また何処へも行かないでも可い。このまま、今度の帰省中転がってる従姉の家へ帰っても可いが、其処は今しがた出て来たばかり。すぐに取って返せば、忘れ物でもしたように思うであろう。……先祖代々の墓詣は昨日済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日だし、好なものは晩に食べさせる、と従姉が言った。差当り何の用もない。何年にも幾日にも、こんな暢気な事は覚えぬ。おんぶするならしてくれ、で、些と他愛がないほど、のびのびとした心地。
気候は、と言うと、ほかほかが通り越した、これで赫と日が当ると、日中は早じりじりと来そうな頃が、近山曇りに薄りと雲が懸って、真綿を日光に干すような、ふっくりと軽い暖かさ。午頃の蔭もささぬ柳の葉に、ふわふわと柔い風が懸る。……その柳の下を、駈けて通る腕車も見えず、人通りはちらほらと、都で言えば朧夜を浮れ出したような状だけれども、この土地ではこれでも賑な町の分。城趾のあたり中空で鳶が鳴く、と丁ど今が春の鰯を焼く匂がする。
飯を食べに行っても可、ちょいと珈琲に菓子でも可、何処か茶店で茶を飲むでも可、別にそれにも及ばぬ。が、袷に羽織で身は軽し、駒下駄は新しし、為替は取ったし、ままよ、若干金か貸しても可い。
「いや、串戯は止して……」
そうだ! 小北の許へ行かねばならぬ――と思うと、のびのびした手足が、きりきりと緊って、身体が帽子まで堅くなった。
何故か四辺が視められる。
こう、小北と姓を言うと、学生で、故郷の旧友のようであるが、そうでない。これは平吉……