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花あやめ
はなあやめ |
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作品ID | 53522 |
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著者 | 萩原 朔太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「萩原朔太郎全集 第三卷」 筑摩書房 1977(昭和52)年5月30日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2011-07-18 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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皐月あやめさくころ。思ふどち二人三人かいつらねて、堀切の里にいきけり。「むさしや」といふ家のはなれを借りて根合せならねど、あやめの歌合といふを試みけり。
あやめは、池のこのもかのもに咲き誇れり。池には舟板橋を渡せり。人人袖ふりあひてゆきちがふ。一しきり風立ちて、えならぬ薫はおばしま近く通ひつ。
北の屋蔭の苔むしたる井筒に、新調の洋服涼しげなる若人二人、巴里形の麥藁帽子見よげにかぶりて、細き櫻のステツキを手すさびに振り上げ、花もまだきなる紫陽花の葉を叩きつ、あやめを隔ててこなた、うちまもり給へるなりけり。これを見て、梅津の君は、あやめも知らぬ戀人は、このわたりにはあらじかし。と忍びやかにうち出でさせ給へるに、言の葉なくて、玉枝の君はうち笑みおはしぬ。南の窓は田園の遙けきながめにて、垣根に近き駒紫蘇の花、今ぞ日光をうけて、くれなゐの色滴らむばかりなる。
隣の座敷は殿方ばかりにて、ビール又は正宗の空壜を作るによねんなし。下樣の繩暖簾とはことかはりて、醉うても聞き苦しきいさかひはなけれど、苟めの物語も高聲になり、默してやみなんことも笑ひさざめき、座中自ら春を生ずる自らはよけれど、他人の閑を破るはにくし。さはいへ、禍を隣人に及ぼすといふにもあらず。下田先生の所謂、女徳のなよよかなるいはれにて、宥さばゆるせよかし。
此時三つ斗りなる兒の、小く太りたるが、大きなる大人の下駄を引きずりて、縁先近く參りたる、覺束なき足もとなり。呼びよせて、菓子など與ふれば、喜びて、片言交りに物よく言ひたるいとらうたし。この兒の母か、三十あまりの品よき女房、おくれて參りたる。妾を見てしとやかにゐやなし、許させ給へ、この子の振舞を。いかなる人にも遠慮なきこそ子供なれ。こよや、お孃樣にお禮申し上げよ、とて輕く頭をおしやりたるもをかし。とかく物うち語りて、ちとこなたの、窶舍にも下りさせ給へ。同じ庭なれど亦おもむきも異りて、と愛嬌を殘して歸りゆく。
あまり遲くならば、歸りがけの途のほども心もとなし。とて虚しくなりし菓子皿の上に、白かねの錢、二つ三つ置きて、門を出でぬ。
二足三足歩むほどに、をみな、あわただしげに呼ばふ。何事ぞとみかへれば、あやめの花束、手にさげて參りたり。家苞に參らせん、と思ふほどに、はや出でさせ給ひにければ、と云ひさして、根もとをこなたに向けて、三把ばかり出だしけり。各一つづつ取りて、堀切橋てふ粗かなる橋の袂に來りける。
夕月榛の木原に上りて、空は水の如し。日はしばし、鐘が淵の杜を焦がして、八百代小田にうつろひしが、次第に光淡くなりもてゆきて、をちこちに蛙の聲聲聞え、下ゆく水も音冴えたり。
玉枝の君は、足もいたくなりぬ。車に乘らばや、といふを、梅津の君は冷笑ひて、風にも堪へぬ御細腰は、さもこそ、といへば、おんみこそといふ。いなとよ、妾は柳は柳なれど、加賀の千代の句近し、おんみは河内の…