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二十三夜
にじゅうさんや
作品ID53524
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第三卷」 筑摩書房
1977(昭和52)年5月30日
入力者kompass
校正者小林繁雄
公開 / 更新2011-07-18 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

『エ、おい、べら棒な。恁う見えても急所だぜ。問屋の菎蒻ぢやあるめいし、無價で蹈まれて間に合ふけえ』。
大泥醉の粹背肌、弓手を拳で懷中に蓄へ、右手を延ばして輪を畫くと、手頸をぐいと上げて少し反身のかたち。
向合て立つたのは細目の痩形、鼻下に薄い八字を蓄へて金縁の眼鏡が光る、華奢のステツキに地を突いて、インバネスの袖を氣にしながら對手が惡いと見て、怯氣た體、折折無氣味相に、眼を轉じて前後を竊視する。
蓋し『力は無かりけり』の標本男。
『エ、おい何とか言はねえか、物を言はねえかよ、唐變朴』
『………………』
『蹈んだら、蹈んだと言ひねえな、確かに私が、蹈みましたと詫びりや、すむ事ツた。おい。』
『だから謝罪たと云ツてるぢやないか、先刻から。』
『だから謝罪た、へん其樣な横柄な言草があるけえ、蹈みましたから、御免下さいましと云ふもんだ。何でえ、失敬しただあ。己あ其樣に唐人言葉は知らねえ日本人なら日本の言葉で言へ、恁う最う少し胸の透く樣な文句を利いた者だぜ』
痛罵しえて意氣昂然たり。颯然と二の腕を捲ると、生白い肌が現出れて酒氣を帶びた頬が薄赤い。
此の日偶然○○不動の縁日。
涼を取るべく連立た人。白い浴衣。黒い帶。萌黄の帷子。水色の透綾。境内は雜然としてかんてらの燈火が四邊一面の光景を花やかに、闇の地に浮模樣を染め出した。
香水、麝香、油煙、マニラの臭氣相混じて一種縁日臭を作り、靄々然として、人自らそが上を蹈み、そが中を歩めり。
『喧嘩だ、喧嘩だ、』
背中を突かれて驚く男、袂をくぐられて間誤付く女、跳ね飛ばされて泣くは子供、足下を攫はれて轉ぶが年寄、呆氣に取られた人人の間を縫て、矢の樣に走つて行く一人の男。
『ほれ喧嘩だ』
と、云ふとドツと一時に動搖めいて一崩れ、ばたばたと男の後を追うて、津浪が押し寄せた樣、逸早く合點した連中は、聲を擧げて突貫した。されば菓子屋、植木屋、吹屋、射的場の前には、今一客を止めず。吹屋の姐さんは吃驚した半身を店から出せば、筆屋の老翁は二三歩往來へ進み出て、共に引き行く人浪の趾を見送る事、少時焉たり。
譬へば或る時、大目玉を引ン剥いて、毛剃が白眼[#挿絵]した百萬の唐船も斯くやと許り。十重に二十重に引ツ絡んで喧嘩の火の手を焚き付け樣と云ふ、江戸ツ子のいらぬ意氣地。
『足を蹈んだのは僕が惡かつた、惡かつたから謝罪る、ねえ君、これは僅かだけれど膏藥代に、な、納めて呉れ玉へ、さあ』
對手の心事、酒代にありと見て取つた若紳士は、事の組し易きを喜んで、手早く握つた銀貨、二枚、三枚、光る物手をすべつて男の掌に移るよと見る間に「呵」と叫んで紳士は身を轉換した。途端、目標を外れた銀貨はチチンと小石に衝突つて、跳返つて、囘轉つてベタリ。
『間拔奴、見損やがつたか、汝、記憶えとけ、深川の芳兄いてで鳴らしたもんだい、手前達の樣な、女たらしに、一文たりとも貰ふ覺えは…

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