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お茶漬けの味
おちゃづけのあじ
作品ID54961
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-11-12 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 お茶漬けの話にかぎらないが、料理というものは、財力豊かな人のものと、財力不自由な人のものとでは、常に天と地ほどの相違がある。しかし、財力豊かで、刺身よかれ、牛肉よかれと、どんな材料でも、手に入れることに少しも不自由のない人が、贅沢料理に飽きて、簡単な美味いもので食事がしたいという場合がある。これは体内にお医者さまの言う栄養が充ち満ちて、生理上、栄養が不必要になった時だ。かような時、茶漬けで飯が食いたいということになる。
 だが、ただの茶漬けという分には差支えないが、贅沢なものの、特にもの好みして、なにか美味い茶漬けが食いたい意味で、茶漬けを要求する場合は、単にさけの切り身というわけにもいかないだろう。さけの切り身と言っても、いろいろあるので、ほんとうの新巻じゃけが手に入れば茶漬けも甚だ結構だ。しかし、近頃はそう特殊の新巻も手に入るまい。そこら辺の店先で手に入れるとなると、さけは美味いもの食いには承知ができず、「ほかになにか……」ということになってくる。
 沢庵の美味いのはないか、干ものの美味いのはないかと詮議だてすることになる。あるいは、たい茶漬けにしようか、という具合に金のかかる方法も考えられる。そういう手は財力が豊かでなければ自由にならない。ゆえに料理は貧富の差で、さまざまの答えが出てくると言えよう。
 昔から婦人雑誌やラジオなどに出てくる料理研究家と称する人々の発表する料理は、贅沢料理と言うよりも、大衆的であることを根本精神にしたものだから、贅沢者の参考にはなるまい。
 そこで、私の語ろうとしているのは、茶漬けにかぎらず、(反感を持たれるかも知れないが)贅沢料理の話である。通の通たる人のよろこぶ話だ。現今の青年子女は、「金ばかり高くてそんなもの」と言うであろう。
 そこでもうひとつ、料理は貧富の差のみではなく、年齢の差で好みが変ることも考えてもらいたい。従って、一家族全部が感心するような料理はなかなかなく、年齢を分けて嗜好を合わせなくては満足がいくまいと思う。いわんや、財力の乏しい人では、値段の高いふつう聞きなれない料理には賛成できないであろう。
 美味い料理は長年続けての習慣がつかなければ、美味いと分るものではない。それが分るようになるためには、相当の費用もかかる。しかし、だからと言って、費用をかけたから食物の美味さが誰にも分るとはかぎらない。食通と言われる人でも、種々の段階があるくらいだから、一般ではなおさらである。結局、これは書画の場合と同じように、分る人のみに分るのであろう。
 さて、お茶漬けの話だが、これにしてもそれぞれ段階があって、ただ飯の上に塩と茶をかけて美味い場合もあるし、たい茶漬けが美味い場合もある。体の状態によって、時々の好みが変ってくる。たい茶漬けが今日美味かったからと言って、明日も明後日もつづけたらどうであろうか。要は、正直に…

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