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三州仕立て小蕪汁
さんしゅうじたてこかぶじる
作品ID54968
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-11-15 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 味噌汁は簡単にできるものでありながら、その実が、日常どこの家庭でも美味くつくられてはいないようなので、一言申し上げようと思う。味噌汁は、中身の如何にかかわらず、時間をかけて煮てはいけない。まずだしをとり、次に中身がよく煮えてから、最後に味噌を落とし、沸騰したら直ちに椀に盛るという加減のところがよろしい。
 ところが、家庭によっては、朝食が家人の都合でまちまちになっている。七時の者、八時の者というふうに、不揃いで食事すると、それがひとつの味噌汁なら、最初に食べる者は一番塩梅のよいものを食べるが、二番目、三番目となると、冷めぬようにいつまでも火にかけたり、また冷ましたり、温め直したりしているうちに、しまいにわけのわからぬ泥水みたいなものになってしまう。味噌汁には味噌汁のコツがある。それを会得しなければ、いつまでたっても上品な美味を持つ味噌汁はできない。
 要は、味噌を生かしているか、殺してしまっているかということなのである。殺してしまっては、意義を失うのであって、いい出来栄えは得られない。反対に、いい出来栄えのものは、味噌を生かしている場合なのである。生きているという場合は、つくる人が生きているということなのである。
 生かしているか殺しているかということは、つくる人が生きがよいか悪いかということである。つくる人が生きが悪くては、生きのいい味噌汁はできない。料理する者は、常にものを生かすことを心掛けなければ、よい料理はできない。料理法がよくなければ、自然、味もみな殺されてしまう。私に言わせれば、料理屋の料理は殺されてしまっている場合が多いのである。
 さて、味噌をなべに落としてから、ぐらぐらと沸騰したところが一番よいのである。三州味噌は澱粉が多いので、澱粉まで全部使っては、ドロドロになって美味いというわけにはいかない。酒を飲むという膳にはそのドロドロした汁では適しない。汁のほかに刺身があり、なお五品、七品と料理が出るのだとしたら、濃い三州仕立ての味噌汁は胸にもたれていけない。三州味噌は全体を使わないで、ある部分、すなわち、澱粉の大部分を捨てる。その割合は、五割とか三割とかが適当だろう。そうすると、酒に適する汁をつくることができる。
 それにはまず、三州味噌を小口からサクサクと切る。それを細か目のざるに入れて、だしの中で洗うのである。すると、ざるの中には著しく澱粉が残る。だしに解けた分量は、味噌の味がする程度でよいのである。しかし、そこは各自の口に合うようにするがいい。よく洗えば自然と汁は濃くなるし、あっさり洗えば、勢いぜいたくな味噌汁になる。これを洗い味噌という。
 味噌汁ひとつつくるにしても、いろいろ手法があろう。その手際如何で、同じ材料の味噌汁にも幾段の等級ができる。
 結局は、いい加減にやるか、気を配ってやるか、その人その人の精神によって決定される。ふつ…

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