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日本料理の要点
にほんりょうりのようてん
作品ID54980
副題――新雇いの料理人を前にして――
――しんやといのりょうりにんをまえにして――
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-07-22 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

持ち味を生かす
 星岡茶寮において、料理人の補充を京都の地に求めたのは、単に茶寮の幹部がみな京都人であるからばかりでなく、日本料理というものが、京都を源流にして発達しているからであって、京都という土地は、言わば日本料理の家元なのである。
 今は京都も時世の推移とともに面白からぬ風潮が流れ込んで、持ち前の美風も、よい産物も、だんだんと失われていくようであるが、それでも家庭料理などを見ると、今もなお古えに思いつかれ、究められた、真の料理らしいものが、古河に水の絶えざるが如く、多少はその面影を今に残している。そのわずかの存続からでも、私たちの学ぶべきところのものは決して少なくないのである。まことに真の料理、合理的の料理、無理のない料理、無駄のない料理、美しい料理となっては、古えの京都ほどに発達したところは、日本のどこにもないのである。
 しかるに、その反面、料理屋の料理、料理人の料理なるものはと言うと、このたび、諸君が腕をふるって、私たちに示されたものを見るにつけても、甚だ遺憾に堪えぬものがあるのである。料理の技法の点においても、その点睛のための味付けの点においても、甚だ不徹底極まるものであって、これがかつて、それぞれ京都一流の旗亭に在って、主要なる務めを果されていた諸君の仕事とは、どうしても受け取れなかったのである。しかし、事実は枉げがたい。[#「枉げがたい。」は底本では「抂げがたい。」]そこで、わが京都の料理も、いつの間にか末に末にと走りつつ、邪曲の路に行くものであることを思わずにはいられない。
 家庭の料理は気儘が利く。故に、自然とその自己に生きるところがあるために、その本来の要旨を失うところが少ないが、料理屋の料理となっては、世間の様子、人の顔色といったようなものを気にしつつ進まんとする傾向があるので、大事な大事な手元の自己というものを失ってしまい、知らず識らずの間に、料理を非合法的なものにしてしまい、遂には得体の知れない怪料理をなすに至るのである。
 元来、諸君は料理屋の料理をつくることにおいて、甚だしい誤解をしているのである。食品原料の特質を殺し、形を変え、色を変じ、味を別にして、一見一喫して、なおかつ、なんの原料によってつくった料理であるか、素人には容易にわかりにくいものにし、得意の鼻をうごめかすふうがある。これは断然悪道の所作、あくまでも排斥しなければならない。料理の本義はどこまでも、その材料の本来の持ち前である本質的な味を殺さぬこと、これが第一の要件である。魚介、蔬菜、乾物、すべてそうである。
 と言うと、諸君はあるいは言うであろう。豆の形を変えてしまって豆腐という無類の料理ができているが、それはどうかと、これらはその本質を変じた料理としては、例外的な大成功であって、料理の一般論の上には、むしろ、その議論の適用を控えるのが至当であるだろう。ところ…

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