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習書要訣
しゅうしょようけつ
副題――美の認識について――
――びのにんしきについて――
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-06-02 / 2020-05-27
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 普通習書と申しますと、ご承知の通り筆をもって習うことが主なんでございますが、実は筆をもって習うということもさることながら、書を分ろう、書というものはどういう「質」のものであるかということが分りたい、分らなくてはならない、そういう「書性」とでもいうことをお互いに分っていこうということが主でありまして、書く方が第二なんであります。私の考えでは、結局、分らなければ書いたって仕方がない。分らないで書いているということは、盲目的に筆を振っていることであるから、その結果が良いのか、はっきり自分も分りはしないというようなことに陥りやしないかというのであります。
 それで、私が今までに経験しましたところによりますと、これから申しますようなことは、どうも我々の先輩がいっておいてくれなかったことで、それからまた書物にも余り書いてないように存ずるのでございます。書の上手下手は、いろいろな形容詞をもって、ことに中国では巧みな形容詞を使って説明してありますが、いずれも抽象的でありまして、我々を心の底から動かすというわけには行かない。それで、我々が知る範囲の人たちをもって私が経験しましたところによりますと、訳が分らずに書を恐がるとか、書けないことを無闇に恥ずかしがるというようなことでございます。これは畢竟するに、書というものがどういうものであるか、という点をよく把握しておらないために、恥ずかしい、恐いという感じがするのであると思うのであります。
 例えば一国の大臣というような人たちになりますと、いずれもが何事にも一見識を有し、物事に恐れない人が多いようでありますが、それでも一度字を書いていただくというようなことになりますと、俺は字は全く閉口だ、書を書かされては叶わないといって固辞される。あるいはぽっと顔を赤くされるというようなことも見受けるのでありますが、それはどういうことであるか、書が下手だって恥になることはないはずである。下手というのは一体なんのことか、下手だって別に恥ずかしいことではないじゃないか、生まれつき鼻が高い人もあるが低い人もある。低いからといって別に恥ずかしいことはないではないか。それは生まれつきだから仕方がない。鼻の高低は必ずしも人相の高下を左右するものではない、というような訳で、別に書が下手だからといっても、それは習う縁がなかったから習わなかったまでで仕方のない話である。また、書道を理解する機縁がなかったので、理解するに至らなかったから仕方がないのであります。また、習っておるけれども普通にいうところの上手になれないこともある。上手ということは一体どういうことだかはっきり分らずに、ただ下手だから恥ずかしい、書けないから恐い、従って無意味に頭を掻くというようなことになるのでありますが、この点をよく呑み込んで分っていないと、それこそ恥ずかしいことになって、常に不愉快だと…

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