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よい書とうまい書
よいしょとうまいしょ
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-03-08 / 2020-02-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

古来世間でいう「うまい書」というものには、例えば夏の夕、裸であぐらをかいて、夕顔棚の下で涼しい顔をしているようなのがある。

 それではまた、先輩諸君を前にして失礼でございますが、また実学上のことを話さしていただきます。
 今日、字のことは、相変らずうまいとか、まずいとかいうことで済んでしまっておるようでありますが、前に申し上げましたように、うまいとか、まずいとかいう事はなかなか簡単に片付けられるようなものではありません。ただ、うまいといった所で、うまいのはどうだとか、まずいのはどうだとかいう意義が詳しく得心の行くように分って来なければならないと思うのであります。うまい書は夕顔棚の下で涼しい顔をしておるような、呑気に、洒々として書いておるようなのがございます。例えば、江月和尚のごとき、原伯茶宗のごとき、あるいは、一茶の書なんぞは、そんなことをいって宜しいと思います。

かと思うと、同じ能書でありながら、容姿端麗そのもののようなものもある。
また堂々と三軍を叱咤するような勢いあるものもある。

 それからまた非常に厳然とした形の上に正しい謹厳な書もあります。それも能書の中に這入っている。それからまた堂々三軍を叱咤するような勢いのよい字もある。みなさんも、そういう書のある事をご承知であろうと思いますが……。

その他、痩躯鶴のごとき、あるいは鈍愚驢馬のごとき、さては富有牡丹のごとき、なよなよと可憐な野に咲く撫子のごとき、細雨のごとき、あわただしい夕立のごとき等々、形容すれば際限のないほど、いわゆる能書なるものに様々な「柄」がある。

 また、非常にひょろひょろとした骨と皮のような字もあります。例えば、竹田のような書はそうだろうと思います。それから非常に鈍感な驢馬のような感じの字もあるのであります。また牡丹のように華やかなものとか、様々な感じのする書がありますが、今日まで著名なものとして残っておりますものは、体裁がどの形体でありましても、やはり、能書として残っております。そうすると、論より証拠、字は必ずしも、こうでなくちゃならぬ、というような体裁書体を持っておるものではない。体裁だけで、もし能書だとか能書でないというような区別が簡単に付けられるものであったならば、規矩整然とした形のものが能書であると決められるのですが、きちんとうまそうに書いてあっても、必ずしもそれを能書といわないのが沢山あります。

これに依ってみても、能書は書体書風の柄で決するものではない。

 まあ近い例を挙げますと、申し上げて甚だ悪いようですが、上野あたりに催されます書道展覧会などを見ますと、若い人でも、名のない人でも、きちんとした俗にいう正しい書き方で書いておる字が沢山あります。一見見事に書けておるのが沢山あります。また、上代仮名でも、いかにも体裁が行成や貫之のように書けておるのがあります…

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