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現代能書批評
げんだいのうしょひひょう
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-06-26 / 2020-05-27
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

まえがき

 人の価値は、厳密にいえば、棺を覆うて始めて決まる。だから人を批評せんとならば、その人が棺を覆うてからでなければ完全な事はいえない。殊に互いにこの世にあるうちは、兎角無益な感情に囚われて正しい認識を得がたいものである。天才の作品が時代と共にその光を増して、在世中は殆ど顧みられなかったようなものが、後年に至って次第に認められ、ついに確乎不動の価値を得て、至上の地位に据えられる例の多いのは、主としてこの理由による。
 しかしながら、作品の価値は、その作品の生まれた時から既に賦与されているのであって、後に付加されるものではない。ある傑作の価値が後代に至って始めて認められたとしても、それは始めから内在しているのであって、それが認められないというのは、認める人がないからである。おぼろげにその価値が解るような人でも、在世中はとかく、有情の色眼鏡に惑わされるからである。
 そういう意味で、現代の人物の作品を完全に批評するということは、なかなかむずかしい。だがこれは眼のある人には不可能なことではなかろう。但し多くの人はそれをやらない。書についていえば、過去の人で既に一定の評価を与えられている人の書は云々するが、現代の書を簡明直截に批評するものは殆どない。彼等は悧巧だから、敢えて自己の不明を暴露するような危険のある仕事をしないのであろう。
 私がそれをやって行こうとするのは、しかし、あえて人のやらないことをやろうとする稚気からばかりではない。これによって、書に対する観賞の力を養う一助ともなればと思うからである。
 ところで前以てお断りして置かねばならないのは、私がここに拉し来る書はいずれも能書の部に入る、謂わば現代一流の書ばかりであるということだ。だから、あえて誇大な讃辞は呈上しないが、ここに問題としただけで、いずれも優れた書であるということを御承知ありたい。よくない書は始めから問題にしないつもりである。なお私のことだから、その時々の気持で気の向いた人を取りあげるのであって、順序もなにもない。また時に既に物故した人のものでも、大体現代に入れてよいと思われるようなのは、構わず取入れて論評したいと思っている。

頭山満翁の書

 前口上が大部長くなったから早速始める。まず最初は頭山満翁の書だ。「淡如雲――頭山満」と書いてある。淡として雲の如し……なかなかいい字である。頭山翁の字は度々見受けるが、時にいかがわしいものを見る。偽筆が多いのだ。これはまぎれもない本物だ。堂々たるものである。
 だが全体を何気なく見渡して、少し書の解る人なら誰にでもまず第一に感じられるであろうと思うことは、「雲」という字の特異性である。「雲」がなんとなく目立つ、それもよい意味で目立つのではなく、なんとなくそぐわない感じで目立つ。「淡如」と書き流して来て、さあ今度は「雲」を書くんだぞという新たな…

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