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陶磁印六顆を紹介する
とうじいんろっかをしょうかいする
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-04-20 / 2020-03-28
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 磁印、陶印取り混ぜ六顆をご紹介する。
 中国の青磁と染付、朝鮮の高麗青磁、日本の古瀬戸、この中、中国と朝鮮はすでにお馴染みかも知れないが、古瀬戸の陶印に至っては珍とする人があろう。
 私に篆刻の研究及び心得があるという理由で、大きな顔して批判するのではないが、私の観るところ、この中日本製印が一番芸術的に優れていると思う。固より印材も篆刻も共にだ。毎度いうことだが、中国や朝鮮はそれがなんであろうと内容が乏しい。その代り容貌風采が立派だ。大概な人は、この容貌風采に魅せられて先ず参ってしまう。彼の物徂徠ほどの人間でさえ、中国風には兜を脱いでその容貌風采に全く惚れきってしまったくらいだから、大概な人間が一応はチャームされるのも決して無理はないが、それにしても今日までにはずいぶんと体験も積んだことだから、今後はチト心して自覚すべきではないか。幸いこの頃、日本ばやりの際でもあるから……。
 私はいつもいうが、中国や朝鮮は芝居の馬鹿殿様みたいなもので、その出で立ちが立派なのみで、肝心の内容はてんで空虚なのだから……、こちらが相当な人間である限り、膝を交えて永く親しみ、かつ、敬するわけにはゆかないのだ。こちらの眼が真に日本美術を認識するに及んでは、義理にも、もはや中国、朝鮮と一緒に交遊するわけにはゆかなくなる。陶器など内容的に殊に物足りないからだ。
 書でも、画でも、彫刻でも、その他なんであろうと、日本の如く内容の力、すなわち、国民性的人格、それに具わる幽雅にして含蓄有る美しさをもったものは、中国にも朝鮮にもない。陶磁器においても勿論ご多分に洩れない。日本の物は、ちょっと見が華々しくないが、長く玩味するに及んで達人の味が出て来る。
 私はかつて書道に没頭したこともあるが、最初は世間並に中国に非ずんば夜も日も明けない時があった。それが段々深入りしてから六朝、隋、唐などは先ず良しとして、その後の書というもの、実は風采ばかりなのだということに気がついた。かくして日本の上代書に眼が開き、日本の高僧偉傑の墨蹟に親しみを覚え、惹きつけられる時は、もはや明代あたりの書は物の数でなくなって、自然敬遠せざるを得なくなった。こうなって来ると、形や様式の美は全く芝居のお殿様であることが次第に判って来る。そういえば、なるほど名君といわれるには、人間として内容の優れたものが入用なはずだ。書においてもその通り、なんだってその通り。この場合、万法帰一をいくら振り廻してもよい。
 ここに掲げた陶磁印の見方も、その大義は少しも変るものではない。篆刻なども中国かぶれの病的時代は、篆刻は中国に見るのみと安心しているが、いずくんぞはからん、日本上代の御璽や、名刹に見るいわゆる大和古印なるものは、彼の秦漢銅印など到底及ばざる気品と風貌とを具えて凜然たるものがある。
 中国に見るべき篆印は、秦、漢、魏、六朝の時代で…

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