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能書を語る
のうしょをかたる
作品ID55063
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-06-26 / 2020-05-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今日は「料理と陶器」の話を致すということでありましたが、そういうことになりますと、ここに三百点ぐらいの陶器を並べなければなりません。それに私はこの四、五日大変混雑をいたしておりまして、そういう準備はいたし兼ねたのでありました。それで外題を勝手に改めたのでありますが、御諒解ねがいたいと存じます。
 料理を語らんとする者が「能書を語る」というのも変じゃないかとお考えになられる方もありましょうが、私の仕事といいますと、料理の研究よりも、書が一番古いのであります。書についての私の経歴というようなものを、烏滸がましいのでありますが、一つの挿話としてお聞きをねがいたいのであります。
 私は十五、六歳の頃、京都におりまして、独学的に書の研究をしきりにやっておったのでありました。その頃「一字書き」ということが京都で流行しまして、このテキストの型(五寸に七寸ぐらい)の紙に一杯に一字を書いて競技に応じていたのであります。これは全く先生なしに独習をやっていたのでありました。この一字書きの競技は何千何万となく募集をするものでありまして、万の中から百の優書が選ばれ、その百の中から十の秀逸が選ばれ、十の外に天地人が選ばれて等級がつくのであります。私の書はある時の如きは百の中にもはいり、十の中にもはいり、天地人の中にもはいるという調子で、大概は優賞を得たのであります。そんな調子に乗って、熱心に字を習ったものであります。そういう風で、私は字のうまい少年だといわれましたから、ついに日下部鳴鶴とか、巌谷一六とかいう大家の門を叩いて教えを乞うということもしたのであります。二、三度師事してみまして、聞きました話はどうも合点がゆかないのです。今になって考えますと、そういう大家の書道の話というものは実に幼稚だったのであります。そうしてそれらの書家は書は上手なのではありましょうが、その良さの意味が違うんだとわかりました。
 そこで私は先生に尋ねるということ等の勇気がなくなってしまったのであります。事実訊ねても訊ねることは教えて貰えなかったのです。一六居士の筆法は、画を作るとき、一画一画筆先をはなし改めて更に筆を入れる癖が特徴でしたが、私はそういうところが気に入りませんでした。今考えますと字はどんな方法で書こうとよいのであります。それをこうでなければ、ああでなければというのは、書家流に堕した亜流であります。日下部鳴鶴先生にも二度ばかり話をききにまいりましたが、私の頭には鳴鶴先生の話がぴんとこないのでありました。ただ技巧のことばかりしかいわれないのみならず、随分無理がありました。例えば最初どんな字体を習えばよいかと聞きますと、楷書、行書、草書と順をおい、隷書とか篆書とかは、あらゆる書を習得した後にやるべきものだということでした。それでは私の頭にピンとこないのです。そこで鳴鶴先生にも私はお別れをしたのであり…

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