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墨蹟より見たる明治大正の文士
ぼくせきよりみたるめいじたいしょうのぶんし
作品ID55065
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-08-10 / 2020-07-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 銀座松屋に十月中、明治大正の文士の墨蹟及び遺品の展観が催された。小生は「人」の価値を見るに常に墨蹟によって判断する事を得意とする。人の評判や世間の噂では間違いが多いことがあるので、自分は人を見ることは、必ず墨蹟に拠ることにしている。墨蹟とは主に「書」である。画でも判らないことはないが、書で見ることが一番である。
 昔から有名な人物はもちろん、その時々に生まれ出ずる有名な人物、流行児などについて、その真価を見極めることは、その人の筆蹟に拠り判ずることが小生としては、一番慥かな方法であって、人心、人格、人品などの観破術として、以前からこれを用いているのであって、従来の経験に徴して百発九十五中ぐらいの率で成績を挙げている。
 書といっても、書家がいうような結体完備運筆巧致を云々するのではない。習字した書であっても教養のない釘折れでも、そんなことは構わないのである。筆蹟に表われたる気格、心韻に拠って察するのである。ここに軽薄な与太先生があったとする。すると、その人の筆蹟にチャンとその与太が表われていて便利なのである。その反対に乃木大将のような立派な人格者には、世間で評判する如く立派なものが霊的に表現されているので、懐疑がなくなるのである。
 墨蹟の上に一番鮮明に表現されるものは、至純、横着、気宇の大なる者、小なる者、気取家、虚勢、虚飾、雅趣ある者、なき者、下等人物、上品なる者、熱ある者、なき者、学者、無学者、信力ある者、なき者、強き個性、弱き個性など、大体表われるものである。ゆえに甚だ僭越な申し分であるが、現内閣のお歴々でも、顧問若槻氏でも、また犬養、床次、鈴木諸氏であっても、それらの人の持った力によって得るところの将来如何というようなことについては、小生の墨蹟観により、ある程度までは図星を指し得ることができるように思っているのである。
 人そのものの表われは、如何なるものにも表われているであろうが、特に古人を見る場合は、墨蹟判断を一番となすことは論なきところであって、例えば秀吉を見んと欲せんか、一秀吉の尺牘で秀吉は窺われるのである。その偉業関白の位、彼の生んだ桃山及び茶道などは遺憾なく表現されているのである。
 改めていうまでもないが、字が誤魔化して書いてあらば、その筆者はイカサマ者である。字が俗悪であれば、その人は俗物である。気宇大きければ、自ずから字の懐ろが大きい。従って尺牘にも大字を書く。大字の癖ありとも放埒なる者の字は締まりがなく、体自ずから欠くるところがあって力とならない。同じ得意になって書かれてある字にも誤って慢心したる者の字と、いわゆる分を知り、足るを知るものの字は大なる相違があって、第一慢心者の字は慎みがない。偽れば偽りが出る。徳備われば徳出ずる。気取れば気取ったものが出る。真蹟を残すことは真に晴れがましい次第である。たしか先々月であったか、東京…

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