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魅力と親しみと美に優れた良寛の書
みりょくとしたしみとびにすぐれたりょうかんのしょ
作品ID55066
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2021-01-06 / 2020-12-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 良寛様のようなずばぬけた書を、我々如きが濫りに批評するなどは、僭越に過ぎるかも知れぬが、常々良寛様に親しみと尊敬とを持っている一人として、感ずるところを、一応述べさせて貰うことにする。
 良寛様の書は質からいっても、外貌からいっても、実に稀にみるすばらしい良能の美書であって、珍しくも、正しい嘘のない姿である。いわゆる真善美を兼ね具えたものというべきであろう。かような良能の美書の生まれたのは、良寛様その人の人格が勝れて立派であったからである。書には必ず人格が反映しているもので、人格が反映していない人格以上の書の生まれ出ることなど、まずもってあり得ない。
 良寛様の書は、良寛様のあの人となりにして、初めて生まれたものなのである。今一方仮りに、良寛様の人格を封じ込めておいて、単に技能的立場だけから見るとしても、良寛様の書技は大したもので、古法帖に伝わる幾多の能書に比較して更に遜色がないのみか、全く驚異に値する入神の技にまで立ち至っている。この点でも、私は深く感心させられているのである。
 良寛様のには、また一点一画と雖も未熟な破綻というものがない。この点、また内容抜きで考えてみても、大天才であることを否む訳にはゆかない。誰しも、どこか一カ所や二カ所は、とかく筆の進行に破綻を来し易いものである。しかるに、良寛様の書には、隅々まで、くまなく検討してみても、それがないのみか、少しの疲れも、弱り目も見せている個所がないのである。
 筆はいよいよ妙境のみを走り、人をして一々至妙、至妙と連呼させずにはおかないのである。賢さなどというものでは、とても至り得ない、実に動きのとれない至妙の境界に、その一点一画は確と打ち込まれ、不足のいいようのない組み立てが成立して、美観と構造の上に呈しているのである。ゆえに、よく有り勝ちな危な気というものがなく、安んじて鑑賞できるのである。なおまた、良寛様の書は、その時、その時の心境によって、書技のさばきがつき、自由に縦横に変化を表現し、かりそめにも膠着する処がない。
 かつて皇后様の御父君であらせられる久邇宮邦彦王殿下に、用人某が殿下の数々の御墨蹟中、とりわけ法隆寺に御下賜のものがお出来栄え、一段にお見事であらせられる旨言上すると、殿下は言下に、「書はその時々で色々である」と明白に仰せられた。このお言葉は実に味わいの深い名言である。私もその座に侍し合わせて、親しくこれを承り、感激に堪えなかった次第であるが、実にすべての芸術、なんであろうとも、「その時々で色々である」ようでなければ、その作品は生きたものといわないと思うのである。技術も内容も膠着して、いつも判で捺したように、なんら変化のない死作の連続が生まれるのは、畢竟、何物に囚われて、日々新たなる心境を喪失してしまっている証拠で、芸術上の生命は根本的に奪われているといわねばならない。
 これを良…

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