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良寛の書
りょうかんのしょ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人書論」 中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2019-01-06 / 2018-12-24
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 良寛の書には、不肖ながら私も心の底から惚れこんで、一通り見られるだけのものは、百点位見た積りである。
 その経験でいうと、良寛様とて未熟時代があって、若かりし頃の書(屏風に書かれている書の時代まで)は、別段のこともないが、後年六十歳頃にもなられてからは、俄然妙境に入り、殊に尺牘の如きは、まことにたまらないまでのものである。唐または唐以前の書に着目して学んだ跡の歴々としたものがあり、彼の書道における眼の利き方、見識の高さを示して余りあるものがある。
 羲之を学んで能書の聞こえ高かりし物徂徠(荻生徂徠)の如きも過去にもあるにはあるが、良寛の如き美しき芸術性は具わらず、超凡というところまでは行かなかった。この点、流俗的に書家風を逐う徂徠は、良寛のように習書から離れ脱しきることはできなかった。ただ一般の儒者たちに比して見る時、力強く勝っているに過ぎなかった。その点、まことに良寛は達人芸であり、達人趣味である。
 道風の「秋萩帖」に学んだ跡も見られるが、「秋萩帖」以上に美しい。徳川末期の書が道風という古い時代の名人に優っているなぞということは、実にとんでもないことである。このような奇蹟は他に類例を見ないといってよかろう。
 学者として、宗門の人として、また人格者として稀に見る美的偉人である。それら総てが内容となって、晩年の書はまさしく天下一品、美の化身といえよう。美しく気高き内容を持つ作品、それは主として人格の所産であって、人品骨柄の顕現である。
 しかも、良寛という人、単に技能面からいっても、過去何者に対比してみても、類例なしと叫びたいまでにうまいのである。うまいものはうまい、ただのうまさではないのである。至妙といってよいか、デリケートと称うべきか、まことに悟りに悟って至り得た技能である。その技能が頂天に達している点、まことに天才の真価をいかんなく明らかにしている。美しき線、美妙な持ち味がそれだ。
 書道観の労苦をつぶさになめていない者は、ともすると軽率な批判を下し、甚だしきは価値なきもののように語る者もないではないが、それらは冷笑して可なるものである。ひとり書に限らず、知らざればこそなに恐れずに軽率にするものである。いわゆる半可通という厄介者である。
 それはさておき、晩年における良寛様の書の芸術価値は実に大したものである。外観的に俗僧の書に見るようなスケールが大きいものはないが、豊かな点では徳川期のナンバーワンである。ことに感服することは、筆を取って一切の計画がない。筆を走らして丁と出るか、半と出るか、成行である。ここが達人芸なのである。
 由来、最高と称う芸術は、絵であっても、書であっても、いと事もなげに無造作にできているものである。無法の法を悟っているからであろう。美的達人にして、はじめてできることである。
 次に良寛様の絵となると、世間では全く識るところ…

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