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芸美革新
げいびかくしん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論新社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2018-12-21 / 2018-11-24
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今後に望まれる工芸作陶界は、まずそれに相応しい可能の許す限りの高き教養を基礎に、自由思想を育成し、真の自由人と思想家の出現に努め、この作陶人をして思い切った自由を作陶の上に振舞わしめざるを得ない。切羽詰っての恵まれた時代がやって来たようである。それには、この際を期して、斯界に一大革新運動を起こしてかかる要が必死の間題であろうと私は思っている。
 わが国現在の美的陶磁器という製品は、一般にどのような息づかいをなしいるものであろうかを、私は十年虫を殺して、埒の外から凝っと見詰め通して来た一人であるが、さてその光景や如何にと今それを語らんとするに当って、今更の如く遺憾を感ぜざるを得ない。それは悉く哀しむべき報告をもたらさねばならないからである。私は今、現代製陶の価値を批判せんとするに当って、固よりその全責任を身に感じつつ現然見る所の破滅的な実況を紹介し、諸士の注意を惹かんとするものであるが、率直に言って、今の作家という人々の大部分が作りつつある作品の価値は、過般催された上野における綜合美術展出品を観覧して一目それとわかるように、一人一人の作品が実に不思議な位、作品に決定的に必要である自由を全然失い、虚脱状態に在ることである。作心に聊かの自由さえ持ち能わざる作人の個性無き作品、それは全く死物に等しき物であって、観者はその作品から何の魅力も感じ得ないのは当然であろう。たわいなき作家の夢もまた空しく画餅に帰し、浅慮の工夫が、ひそかに低級な人々の眼を、良? 不良? の間に迷わしめて居るに過ぎない。結局、労して効無き結果を見せつけるばかりなのである。
 本来作者と言う立場は、その仕事に向っては徹頭徹尾、飽くまで自由であらねばならぬ。旧い慣習に捉われ、誤謬に身動きを失うようでは、創意創作などは思いもよらぬことである。過去の仕来りから一歩も外出し得られないようでは、新知識の獲得は到底望み難い。しからばと言ってなんら学ぶ所無き者のとりちがえた自由は、実は出鱈目を指すものであって、真の自由ではない。言うまでもなく作家として立つ限り、美の教養を可能の限度に高く学び、自由による創意創作の表現からのみ得られる満足を味わうことこそ作家の生命なのである。自由の精霊は付焼刃を許すものではない。付焼刃には常に虚妄と脆弱が伴うからである。無理は元々嘘の上に成りたつものであるからである。無知な努力に至っては、曾ての軍の仕事に似通うもので労して効はない。
 人間の生涯には間々行詰りが生じ、どう仕様もない境地に立ち至ることあるは大なり小なり各人の体験する所であるが、それは何かに捉われた人生であり、陋習であったはずである。誤った先入主に捉われていては前進の可能性はない。捉われない生活、前進を阻まれない生活、自由にして拘束を受けない生活、作家はこれあるを悟らねばならない。作家の動脈硬化ということは、現然た…

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