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志野焼の価値
しのやきのかち
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論新社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2019-04-19 / 2019-03-29
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 古伊賀、古志野は日本の生んだ純日本的作風を有することが先ず第一の権威に価いする。そうしてこれらの真価は、三、四百年前、すでに識者の重きを加えるところとなって、爾来今日までその声価は重加こそすれ、少しも軽くはなっていない。言わば間違いも勘違いもなく、陶器中の名品たることを保証されているので、その価格も、中国名産の万暦赤絵や祥瑞、古染付などの上座を占めているのである。敢えて某政客の説明を俟つまでもなく、拙者の志野考などと今更喋々要しないのである。
 しかし、こう言ってしまっては、話に愛敬がなくなるとして、やはり伊賀を生まれ故郷として、伊賀を論ずる気になるように、拙者も志野窯発見を機会として、志野考の一部を一席弁じさせてもらうとする。
 志野そのものの全体的価値は前述のとおり昔から定評あって、その結構なることは万人の認めるところであるから、言わば製作人として我々の感服する点を一、二摘出することにする。製作家として進む後進作家の参考に価いしないともかぎらないからである。志野の窯跡が発見されたことは珍しいことにはちがいないが、別に大したことではない。尾張、瀬戸だと思っていたら、なーんだ美濃だったか、そう言えば今まで瀬戸窯跡では発見されなかったようだね、これでおしまいなのである。ところが製作家の立場となると、製陶研究上、すこぶる有益なるものがあって、等閑視できないことになるのである。
 先ず志野破片中、ナマ焼、ヤケ過ぎ、上出来、下出来、土の赤きもの白きもの、見たこともない絵模様、絵色の赤きもの黒きもの、絵の白抜きとして様々なもの、手造りのもの、ロクロ製、茶器類、雑器類、この他、意外中の意外は、黒瀬戸の大茶碗即ち濃茶に用いられつつある黒瀬戸が、同時代の同窯作品と看做されるべく、混同して発掘されることであった。
 大分脱線した。こんな発掘状況を説明するのではなかった。志野の芸術的説明をすることにあるのであった。何にしても志野は、実に立派な陶器であるがために、立派な話題になるのである。これが面白いと言ったとて、高の知れた、後年の下手物の油皿や、鯡皿ぐらいで吾人研究の芸術的問題にならんのである。価値ある志野、それに吾人は重きを置くのである。
 志野の出来のよい物になると、足利前後の絵画彫刻に比して一歩も譲らない芸術的価値を持っていると言えよう。今一歩進めて、絵画彫刻に見る伝統的規矩、方法が付きまとっていないだけに、それ以上ゆるゆるとしたよい気持で見ることが出来ることを喜ぶのである。これを朝鮮の茶碗類に比べて、いささか遜色なきのみか、さらに大特色を有するのである。志野茶碗を見ると、これが光悦の先をなすものだなと、うなずかずにはおれない。光悦以前に生まれている志野、光悦以前に世にもてはやされている志野を思う時、光悦が起こるのは当然である。
 全く志野の茶碗を見る時、何人の頭にも光…

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