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なぜ作陶を志したか
なぜさくとうをこころざしたか
作品ID55082
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-11-22 / 2014-10-13
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 なぜあなたは陶器を作るようになったか、とよく人から訊ねられるが、自分は言下に、それは自分の有する食道楽からそもそもが起こっていると答える。自分は幼年の頃から食味に趣味を持ち、年と共にいよいよこれが興趣は高じて、遂に美食そのものだけでは満足出来なくなってきた。
 おいしい食物はそれにふさわしい美しさのある食器を欲求し、それに盛らなくては不足を訴えることになる。ここに於て自分は陶磁器及び漆器、即ち食物の器を自然と注意深く吟味するようになった。そんな生活を続ける中に図らずも自分が美食倶楽部の一員となった。それは大正九年のころだったと思う。その経営に当って、当然的に食器の問題にぶつかったが、何としても現代作られているものでは意を満たせなかった。そこでこれを古品に求め、古瀬戸、古赤絵、オランダというふうに、茶碗、皿、鉢等を選び、日常の食器として用を弁ずることとした。かくして三年間、幸いにも非常な好評のもとに経営を持続しているうちに、大震災に遭遇して美食倶楽部も灰燼に帰し、当時所用の古陶器類その他一切を喪失してしまった。
 しかし、続いて星岡茶寮を経営することとなり、舞台は更に大きく展開し、時には百人前を越える器物一切を必要とするようになった。以前のように古陶磁でその用を弁じさせようとするのは殆ど不可能なことである。と言って、五条坂の陶器はまた用いらるべくもなかった。
 ここに於て自分は京都の宮永東山、河村蜻山、三浦竹泉、九谷方面では山代の須田菁華、山中の矢口永寿、大聖寺の中村秋塘、尾張赤津の加藤作助等々の諸氏に委嘱して、先ず好みのままに生地を作ってもらい、それに自分が絵付けをして震災後我々の所有となった星岡茶寮最初の器物を調えることとして、先ず当面の用を満たすことにしたのである。
 当時の自分は陶磁製作に関しては全く迂遠であって、奥田氏の『陶磁百選』などを別天地の思いで眺めていたころである。訳もなく他人に生地を作らせ、その上に絵付けをして先ず満足していたのである。職人に生地を作らせて上絵を付けて、それで作家と称する陶人が立派に存在することは現代陶界の実状である。曾ては自分もそれに知らず知らず満足していた始末であった。だが作られた器物は職人が命ぜられるままに作ったもので、製作技術以外に内容に触れる所はない。技術的に一見綺麗には作られているが、それは決して美しいものではなかった。
 宋窯を見せ、古瀬戸を見せれば、職人は直ぐにそれの外形をこそ真似はするが、その内容に大事な精神を欠くというのが避け難い状態であった。自分はここに他人の拵えた生地には非常な不満足を生じ、自ら土を採って作るのでない限り、到底自分の意に満たないという結論に到達した。
 また一つの事実として、みずから全部を作らなくば自作品とは言えぬ。上絵だけを付けて、魯山人作の銘をつけて来たことが今更に辱じられた。そ…

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