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日本のやきもの
にほんのやきもの
作品ID55083
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-11-22 / 2014-10-13
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 多くの文明諸国におけると同じ様に、日本でも、やきもの、つまり陶磁器が日常生活の什器として使用され始めた時期は、遠く紀元前数世紀に遡ることが出来る。けれども、陶磁器が諸々の趣味生活の素材として取上げられ始めたのは、遥かに後代のことらしい。九世紀から十二世紀にかけて、日本では平安朝時代と呼ばれる、宮廷文化の華やかであった時代が続いたが、この時代は主として中国文化を輸入して、万事これを範とした時代であった。それで陶磁器についてもこの時代は中国歴代の王朝時代唐、宋の産物を輸入し、その美麗な色彩を持つ什器を珍重して楽しんだ時代であると言えよう。この時期に輸入された中国文化は、精神面においては所謂仏教文化であった。日本はこの時期から降って十八世紀に至る迄、仏教文化の影響を、ひとり精神面のみならず物的な面でも強く受け取ることになるのであるが、この仏教文化のもたらしたものの中に「茶の湯」というものがある。この茶の湯と呼ばれる行事は、十六世紀になって、大略完成された。喫茶に伴う諸動作を形式化した社交的行事、あるいは遊戯であるが、これは上流の子弟男女にとっては、一面ではしつけ礼節を訓練する手段であると共に、他方では、その内容とする趣味生活に対する心構えを養ったものであった。
 一見殆ど飾り気のない簡素な狭い茶室で地味な茶器を用い、しかも厳格な方式に則って行なわれる諸動作を通じて、この「茶の湯」に上達しようと志す者は、ある種の美、無形、無色、単純の美、少なく描くことに依って、より多くの効果を表現せんとする美の一つの型、この様な仏教的世界観の産物であるある種の美的観念を理解する様に教えられた。この茶の湯に用いられる諸道具――茶碗として、水指として、酒器として、花器として陶磁器はなくてはならないものであった。
 こうして茶の湯を通して陶磁器は、日本人の趣味生活の中に、不抜の地歩を占めることになるのである。
 この茶の湯のチャンピオンであった当時の上流人士、趣味人が、この茶の湯の精神に最もふさわしい美術工芸品としての茶器、食器あるいは花器を要求し、また進んでこれを創造することになったことは、極めて自然な成行であった。
 趣味のやきもの陶磁器は、こうして茶の湯の流行に伴って、しかも「茶の湯」的な美術品として出現したのである。
 貴族の時代であった平安朝時代が、武士の時代である鎌倉時代に引き継がれ、その後各地方に割拠する武士の武力闘争時代である戦国時代を経て、強力な武士の政権に依る国内統一の時代が次々に来た。これが十六世紀の終りの桃山時代と呼ばれる日本封建文化の黄金時代である。
 この時代には「茶の湯」が大成されると共に、大略この時期を中心として陶磁器製作の面でも最も優れた芸術作品を創り出した偉大な陶匠が相次いで輩出した。楽(田中)長次郎、本阿弥光悦、野々村仁清、尾形乾山等がそれらの天才…

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