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陶器個展に観る各作家の味
とうきこてんにみるかくさっかのあじ
作品ID55113
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2019-05-27 / 2019-04-26
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 本秋も都合よく、河井寛次郎氏の年中行事である東京高島屋に於ける製作展を観ることが出来た。氏の仕事も近来次第に磨きがかかり、段々とこなれて、その美しさは楽々と増して行くのが目立ち、小生などにも教えられるところが少なくなかった。
 しかし、人間の持ち前というものは、どう仕様もないもので、河井さんは河井さん、浜田さんは浜田さん、富本さんには富本さんと、各々その人々の個性と好みが自ずと具現していて、その持ち前の表われが観る者の眼にはほんとに面白く感じられる。
 誰が何をするにしても、個性の他に先入主というものがあって、いやらしく、ぴったりとこびりついている。それが良い素因を作っている場合もあるが、悪い祟りとなって一生とりつかれ、不自由させられている場合もある。そこには囚われんと欲するも能わざる体のものがあって、各人それぞれ容体や色彩を異にして見参する。こんな意味で以上の三氏も大同小異ながら趣きを異にするものである。しかも、この三人を大なり小なり動かした者に英人リーチがいる。この人も眼色の変っている如く持ち味も少しく別である。ここへ図らずも遅れて出た、しかも十五年も後に顔を出して、その出現を怪訝な眼をもって見られた小生が加わるとなると、いよいよ多彩多異、賑やかたらざるを得ない。
 この四人の特色が一々に異なっていることは、固より不思議のあろうはずはないが分けても刮目に価いすることは、小生を別にした四氏が、揃いも揃って在来の茶道的鑑賞を問題にしていないことである。日本的最高所を軽視することである。ここで明白に、無視しているということも、どうかと思われないでもないが、ともかく茶道鑑賞、すなわち美術鑑賞を根幹として樹ち、三、四百年も流れて来ている茶道鑑賞に一向関係がついていない。このことは、それぞれの作品に徴して明白である。
 茶道趣味に関係がないとなってみると、そこに何が生まれるかを語る前に、考えねばならぬことは、なぜ茶道鑑賞を取り入れないかということである。得手勝手な臆測を理由として否定しているか、訳もなく食わず嫌いを標榜しているか……それを検討する必要があろう。それがいずれにしても誤謬から生まれている囚われであることは、私どもの眼にはそれとなく察せられる。それもある理由により否定すると明白なものであってみればまだしもであるが、茶道など何となく面倒に感じられるから覗いて見ないまでである……の粗末な感情で茶道鑑賞をうっちゃっている……では残念である。さてこの態度なるものを矜持するものの手からは何が生まれる、何を根拠にしてスタートしているかであるが、これは簡単に時の流れ、現代の空気と片付ける他はないようである。
 従って現代の趣味のすべてが表現している通り、洋風取り入れ趣味をもって歩調を合わすところのものである。伝統の日本趣味にはおさらばをしているところのものである。これ…

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