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魯山人作陶百影 序
ろさんじんさくとうひゃくえい じょ
作品ID55117
著者北大路 魯山人
文字遣い新字旧仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論新社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2020-05-14 / 2020-04-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が陶器を自分で作る気になり、窯を自分の家に築き始めたのは昭和二年四月であり、窯が出来て第一回の製作を了り、初窯を試みたのはその年の十月の七日であるから、まだ至つて日の浅いことである。自分の家に窯を持たなかつた以前は、京都で宮永東山氏の窯場、加賀では山代の須田菁華氏の窯場を主とし、時には山中の永寿窯、大聖寺の秋塘窯、尾張赤津の作助氏の窯などに於て、自分好みの生地をつくらせ、それに自分で上絵を描き、主として食器類をこしらへ試みてゐたのである。
 処が他人の作つて呉れたのに自分が模様を描くといふのでは、個々の相違からと、鑑賞力の相違からとで、とてもしつくりと行かない。そこで、これは自分で何から何まで一通りやらねば本格でないといふ事がわかり、意を決して遂に鎌倉の山崎にささやかな窯場を設けるに至つた。さて窯場を設け、助手を使つて研究にかかつて見るといよいよ面白くなつて来たと、手を打たずには居られないことになつて来た。併しその半面に於ては、それは又益々むづかしい事になつて来たのだと嘆息せざるを得なかつた。
 一体私の製作上の狙ひといふものは、すべてこれを和漢の古陶磁器の優秀作品の上に置いて居た。明代の染付や赤絵は言ふに及ばず、朝鮮物、日本物、その何れであつても、要するに徳川中期以上鎌倉時代ぐらゐまでの物を自分の好み得られる対象とした。しかし自分は擬古的にその皮相の追求を企てようとしたのではない。即ちどこ迄も内容的に、その本質と精神とを狙ひたいと思つたのであつた。
 処が其後の経験により、今日の窯の造りと、そして其の材料とでは、到底昔の作品の持つうまい味はひといふものを現出する訳には行かないことが確実になつた。かくて自分は、ある場合には実際途方に暮れた。が又その一方には案外に面白い事もあつて、今日ではこの陶器製作は愈々生涯止められぬ宿縁だといふ覚悟をしてしまつてゐるのである。
 かうした間に自分は朝鮮の古窯の視察を思ひ立ち、京城以東、釜山以西を歩き廻つた。鶏竜山その他数十ヶ所に於て原料土や釉薬の採取も行つた。或は尾張の瀬戸三十六窯と称される古代の窯跡の最初の探査発掘をしても歩いた。信楽に陶土の採取をやつたのも何回かであつた。近くは美濃の久々利村の山中に志野焼の破片を見付出し、それを便りにその窯跡の探査を進め、遂に四五ヶ所の志野古窯を発見し、更に初期古織部の釉跡の発見にまで進んで、所謂古瀬戸の隠れてゐた種々相を発見した。又九州の唐津附近に於ては、古唐津、岸岳及原料土を採取した等、これらの総ては自分のこの道に対する勉強心と興味とを極度に誘つて呉れた。尚此他に微力ながら参考品としての古陶磁の蒐集にも幾分其の歩を進めた。
 斯様な訳で、ここ数年間窯場に居る限りは土をいぢり、轆轤を廻し、筆を舐め、窯の火を焚くなど、自分の心持一杯の程度に、製作上の努力を為し続けた。
 そこで私は…

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