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我邦感傷主義寸感
わがくにかんしょうしゅぎすんかん
作品ID55737
著者中原 中也
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-10-10 / 2015-09-25
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 此の間京都の農林学校の生徒が三十名、満蒙視察に出掛けました。帰つて来て、彼等の身体検査をしてみますと、そのうち二十名がイヤな病気に冒されてゐました。
 そのうち五名は非常に重く、学校をも欠席してゐました。
 何か処方せんけれあならんと思つたかした校長は、その五名を放校に、他の十五名を謹慎処分といふことにしました。
 怒つたのはその五名の父兄で、病気の軽重で処分の軽重を割出したとは何といふことだといふので、復校運動を開始しました。
 窮地に陥つた校長は、遂に如何にすべきか、文部省迄陳情して来ました。
 ところで文部省で最初先づ云はれたことは、「若い身空で、ナンだ、けしからん」といふのでありました。

 右は、新聞記事を読んでの私の記臆でありまして、詳しいことは何も存じませんが、又私はこれから、此の記事に出て来る実際人物のことを云はうとは思つてゐませんが、この記事を種に、私が想像出来るだけのことを記して、以て我邦感傷主義を一寸論じてみたいのです。

 病気の軽重で、処分の軽重を決めたといふ校長の頭の程は、凡そ奇ッ怪なものでありますが、或ひは此の校長が、その地では人望のある、謂はば人格者かも知れないのです。羽織袴を忘れずに、帽子はなるべくアミダに冠らないやうにして、六ヶ敷い顔をして、理想を前例に照して持つてゐれば、近所知己の評判は良いのでありませう。

 文部省の、その衝に当つた役人は、事務よりも先づ主観を述べられた。その前に仮令対策を述べられたとしても、その対策たるや凡そ見当が付くと云へませう。校長がもし人望のよい人である場合は、文部省によつて、アツサリ放校が取消されたにしても、何らか校長の顔を立てるためには生徒の方に臨時の損が振りかけられたに相違ありません。恐らく、アツサリ取消しはなかつたことと、私は思ふのであります。
 で此の場合、仮りに一私人が罷り出たとして、放校された生徒に同情するとしますと、では、中学生が、イヤな病気になるやうなことをしてもよいといふのか、なぞといふことになつて、凡そ「病気軽重と処分軽重」の問題とは、外れた所に文句の花が咲きさうであることはお分り下さる所でせう。

 茲に見る例は、如何にも馬鹿げて見えませうが、凡そ大概のことが、猶此の程度には馬鹿げてゐるのが、奈何せん実情であります。かくてこそ、かの成巧者達が、大抵頸の硬い中庸主義者であり、殆んど理論なくカンでばかり体験し、苦労を咬み殺した人達であることが分ります。
 つまり我が国では、技術家も猶多分に政治家である場合に助かる。さもなければ、無器用朴訥な愛嬌で助かる。技術堪能そのものが登用される場合は極めて稀であります。
 勿論外国にしろ、多少とも此の世の中は左様なものではありますが、高い程度の技術ではともかく、凡そ常識の既に認める範囲にある技術では、我が国程に台所情実は場を占めてない…

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