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引越し
ひっこし
作品ID55780
著者中原 中也
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-06-25 / 2018-05-27
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 実際その電報には驚いた。僕としてそんな用命にあづかつたことは生れて初めてでもあつた。「アスアサゴジヒキコシテツダヒタノム」といふのだ。朝五時!……僕は此の十幾年といふもの夜昼転倒の生活をしてゐるのだ。それを電報打つたその親戚も知らないわけでもないのだ。驚いたといふよりも癪に障つたね。三十年近く広島といふお天気の好い街の教会で伝道婦として働いたその叔母の甘えた気持が――といつて別に当人甘えたといふのでもあるまいが、その生活といふものがそも/\甘えたものであつたのではあらうが、そいつが癪に障つたね。
 プリプリしながら、だがその晩は七時にはお湯屋に行き、目覚時計を四時に掛けて八時には床に這入つた。
 翌朝遅れたと思つて、慌てて先方に行着いたのは六時半だつた。目覚時計を聞きながらまた眠つたからだ。行つて見るとまだ叔母は朝御飯が漸くすんだばかりで、ゆるゆるとお茶を飲みながら近所の人とトラックの話をしてゐるのだ。トラック一台に積めるかどうかといふ。どうせ積めるに決つてゐると、腹の立つてゐる矢先ではあり「えゝこなひだ府の何とか課長さんの引越が一台で出来たといふ新聞の記事を見ましたよ」と、僕は二人の間に立ちはだかるやうに云つたのだつた。すると叔母は「ソレ/\またあんたの癖が出ましたよ」といふやうに僕の顔を視るのだ。それから猶一台で足りるものかしらと案じてゐるのだ。やれやれ今日一日棒に振る覚悟をするより仕方もないと僕は思つた。
 とにかく寒い朝だつたよ、三月になつてはゐたが、来る途中、日の当らない所は凍つてゐた。偶に早く起きたせゐもあつてか、その朝を思ひ出すたび、叔母のお茶碗から立つてゐた湯気が白々と見えてくるのだ。
 無事にトラックも一台で難なく積めると、引越す先は鍋屋横丁を這入つて左に曲つて、も一度左に曲つて一寸行つた右側であるさうな。「あんたトラックに一緒に乗つて行つて荷物を運び入れてゐて頂戴、そのうち私も行くから」と云ふ。結局僕一人が引越の手伝ひ人であり、その弱々しい、事実またちよく/\大病を患ふその叔母と僕との二人だけが引越万端のことをするのだとすると、まづまづ僕一人が大部分のことをしなければならない。「木村は、生徒を預つてゐる身だから、自分では休まうと云つたがどうしても休んでは不可ないといつて学校にやりました」さうである。木村といふのはその叔母の末つ娘の亭主で小学教員、その末つ娘なる郁子といふのは産院にゐるのだ。ガタガタ/\トラックの荷物の中に挟まつて揺られながら、僕は久々で午前の西武電車の沿線といふものを眺めたのだ。「生徒を預つてゐる身」とは甚だ確固たる信条(?)ではないか。僕の方はと云へば、尠くとも叔母の目には、中学を出たつきり上の学校へも行かず、十年ブラブラしてゐるブラ公なのだ。郷里の方には大学に行つてゐることになつてゐたのが五年目にバレて、だから「親を…

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