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山間秘話
さんかんひわ |
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作品ID | 55933 |
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著者 | 中原 中也 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店 2003(平成15)年11月25日 |
入力者 | 村松洋一 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-03-23 / 2015-02-17 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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[#挿絵] 牝狐と牡兎
春であつた。牡兎の血の環りはよくなつてゐた。勇ましくはないまでも、しやきしやきしてゐた。一日兎は森に這入つて行つた、牝狐を訪ねる算段で。彼が森の径を巡つてゐる時、牝狐は家で囲炉裡にあたつてゐた。仔狐達は窓の近くで遊んでゐた。牡兎が森の方からやつてくるのを見付けると牝狐は、急いで子供達に云つた、「何時もの彼が来たらば、私は家にゐないとお云ひ。あれは私を誘き出す悪魔なんだからね! あのお馬鹿に来て欲しかつたのはもうずつと前のことだよ。今ではどうにかして殺してやりたいくらゐなんだから。」さう云つて彼女は家の奥に匿れた。牡兎はやつて来て扉を叩く。「どなたです? と仔狐達は云ふ。――私ですよ、と訪問客が答へる、おはやう! おつ母さんはお家かね?――いいえ、ゐません!――困つたな! 私は用事があつて来たのに……ゐないなんて!」そこで牡兎が再び森の方に跳び返つた。
牝狐は一伍一什を聞いてゐた。「ああ! 犬つころの悪魔の杓子野郎が、と彼女はわめいた。もう一寸待つがいい、この図々しい奴、おまへの恥知らずに意趣返しせずになんぞゐられるものか!」彼女は囲炉裡の所から扉の陰に行つて、そこで見張りをしはじめた、兎はもう一ぺん引返すだらうと思ひながら。事実兎は遅からず引返して来た。「おはやう、坊達、おつ母さんはお家かね? すると仔狐達は――いいえ、ゐません!――困つたものだ、と兎は答へる、何時ものやうに、私はおつ母さんに御馳走しようと思つて来たんだが!」その時牝狐は顔を出した、「今日は、親愛な方!」牡兎は跳んで逃げた、泥をはねかしながら息の切れる程走つて去つた。牝狐は跡を追つた。「悪魔の杓子野郎つたら、逃がしはしないから!」彼女は今にも追ッ付きさうだ。牡兎はポンと跳んで、すれずれに立つてゐる二本の白樺の間を摺り抜けた。牝狐は今にも彼を捕へさうだつたのだが、白樺の間に挟まつてしまつて、進むことも退くことも叶はなくなつた。彼女はただただジタバタしてゐた。杓子野郎は振返つてみるとこの有様なので、――ここぞとばかり彼は思つて、直ちに跳んで返した。それから……牝狐を慰めてやつた。「かういふのが我輩の嗜好だ、かういふ流儀こそ我輩のものだ」なぞと彼は繰返してゐた。だが、彼は彼女と十分の歓を取るや、急いで帰途につくのだつた。
間もなく彼は炭焼場の傍を通りかゝつた。其処で一人の百姓が火を燃してゐた。牡兎はその黒い埃の中をころがり廻つた、すると彼は修道僧の風体になつてしまつた。それから彼は耳を垂れて、黙々と道を続けた。その間に牝狐の方では胸が清々してきて、もう一度牡兎を探す気になつてゐた。ところで牡兎を見付けるや彼女は彼を修道僧だと思ひ込んだ。「おはやうございます、神父様、と彼女は云つた。あなたはあの杓子の牡兎にお遇ひなりはしませんでしたか?」「とお仰ると……先刻あなたにお…