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木精(三尺角拾遺)
こだま(さんじゃくかくしゅうい)
作品ID57476
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「化鳥・三尺角 他六篇」 岩波文庫、岩波書店
2013(平成25)年11月15日
初出「小天地 第一巻第八号」1901(明治34)年6月10日
入力者日根敏晶
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-07-01 / 2018-08-11
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「あなた、冷えやしませんか。」
 お柳は暗夜の中に悄然と立って、池に臨んで、その肩を並べたのである。工学士は、井桁に組んだ材木の下なる端へ、窮屈に腰を懸けたが、口元に近々と吸った巻煙草が燃えて、その若々しい横顔と帽子の鍔広な裏とを照らした。
 お柳は男の背に手をのせて、弱いものいいながら遠慮気なく、
「あら、しっとりしてるわ、夜露が酷いんだよ。直にそんなものに腰を掛けて、あなた冷いでしょう。真とに養生深い方が、それに御病気挙句だというし、悪いわねえ。」
 と言って、そっと圧えるようにして、
「何ともありはしませんか、又ぶり返すと不可ませんわ、金さん。」
 それでも、ものをいわなかった。
「真とに毒ですよ、冷えると悪いから立っていらっしゃい、立っていらっしゃいよ。その方が増ですよ。」
 といいかけて、あどけない声で幽に笑った。
「ほほほほ、遠い処を引張って来て、草臥れたでしょう。済みませんねえ。あなたも厭だというし、それに私も、そりゃ様子を知って居て、一所に苦労をして呉れたからッたっても、姉さんには極が悪くッて、内へお連れ申すわけには行かないしさ。我儘ばかり、お寝って在らっしゃったのを、こんな処まで連れて来て置いて、坐ってお休みなさることさえ出来ないんだよ。」
 お柳はいいかけて涙ぐんだようだったが、しばらくすると、
「さあ、これでもお敷きなさい、些少はたしになりますよ。さあ、」
 擦寄った気勢である。
「袖か、」
「お厭?」
「そんな事を、しなくッても可い。」
「可かあありませんよ、冷えるもの。」
「可いよ。」
「あれ、情が強いねえ、さあ、ええ、ま、痩せてる癖に。」と向うへ突いた、男の身が浮いた下へ、片袖を敷かせると、まくれた白い腕を、膝に縋って、お柳は吻と呼吸。
 男はじっとして動かず、二人ともしばらく黙然。
 やがてお柳の手がしなやかに曲って、男の手に触れると、胸のあたりに持って居た巻煙草は、心するともなく、放れて、婦人に渡った。
「もう私は死ぬ処だったの。又笑うでしょうけれども、七日ばかり何にも塩ッ気のものは頂かないんですもの、斯うやってお目に懸りたいと思って、煙草も断って居たんですよ。何だって一旦汚した身体ですから、そりゃおっしゃらないでも、私の方で気が怯けます。それにあなたも旧と違って、今のような御身分でしょう、所詮叶わないと断めても、断められないもんですから、あなた笑っちゃ厭ですよ。」
 といい淀んで一寸男の顔。
「断めのつくように、断めさして下さいッて、お願い申した、あの、お返事を、夜の目も寝ないで待ッてますと、前刻下すったのが、あれ……ね。
 深川のこの木場の材木に葉が繁ったら、夫婦になって遣るッておっしゃったのね。何うしたって出来そうもないことが出来たのは、私の念が届いたんですよ。あなた、こんなに思うもの、その位なことはありますよ。」
 と…

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