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トシオの見たもの
トシオのみたもの
作品ID58343
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集1」 ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年1月24日
初出「朝日新聞」1921(大正10)年4月21日~30日
入力者門田裕志
校正者いとうおちゃ
公開 / 更新2023-02-18 / 2023-02-10
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 トシオは、大そう賢く生れ付いた男の子でした。それゆえ、まだやっと、今年十一歳になったばかりですのに、もうこの世のなかのいろいろな方面の、様々なことを知って居ました。書物などで読んだことも、一々はっきり、頭に覚え込むという風でした。
 しかし、あまり、いろいろ知り過ぎたせいで、このごろ敏夫は却って、沢山な疑いを持つ様になりました。先ず、どうして世の中には、こんなに無駄が多かったり、不平の種が沢山あるのだろうと、云うことが、敏夫のこの頃の不思議なのでした。
 たとえば人間達が、折かく元気よく暮らして居るこの世の中に、いつの間にか流行病のバチルスが、そっと片隅から湧き出したり、でこぼこな黒い土のなかから美しい赤い花が、艶やかに咲き出たり、正しい善良な人が貧しい暮らしをして居るかと思えば、富んで遊んで暮らす人の居る世の中でもある。それから人の死ぬことや、喧嘩仕合ったりすることも……。
「ああ分らない、僕にはどうしても分らない」トシオは斯うひとり言して、頭を振ってばかり居る様になりました。
 トシオの頭はこんな具合で、すっかり暗く閉じて仕舞いました。もう本を見るのも嫌なら、お友達を訪問しても、つまらないし、仕方がなしにふらふらと、一人家を出て、歩きまわりました。
 やがてトシオが来たのは、春の頃、トシオが雲雀の声を聞き乍ら、お友達とのどかに摘み草をしたり、夏のみずみずしい緑葉をふみ乍ら、姉様達と蛍狩をした、広い野原でありました。が、今はもう、秋もくれがたであります。野原の草は一面に枯れて、赤白く年寄りの髪の毛を延いた様に、ほおけ拡がって居ます。
「おや、僕達が、あんなに愉快にころげまわった草原も、こんなみじめに枯れて仕舞ったか。なぜこんな赤ちゃけた色なんかに変ったんだ。いつも青々として、僕達を遊ばして呉れないってあるもんか、ああいまいましい。また冬なんて嫌な用もない時節が来るのかな。
 トシオは斯うつぶやき乍ら、野原のあちらこちらをさまよいました。トシオの持った竹の枝に追われて、足の弱った年寄りばったや、羽根の痩た赤とんぼが、よちよち、ふらふら、逃げまどいました。小春日和の午後の陽ざしは、トシオの広い賢げな額や、健康らしく肉付きの引しまった頬に吸い寄りました。そしてこの稚い冥想家の脊を、やわらかく撫で温めました。



 すぴーすぴー、はろーはろー。と突然、何の鳥か、野原の真ん中にすぐれて大きく一本立って居る、欅の梢で鳴き声がしました。トシオはあわてて、その方を向きました。しかし、黄ばんだ葉も半落ち切らない上に、何百年間か張りはびこった枝が、小さな森くらいに空を劃ってこんもりと影を作り、その処々に、尨大な毬の様な形に、葛の蔓のかたまりが宿って居るので、鳥はそのなかにでも隠れて居るのか、一向に、その姿が、トシオに見えないのでした。が、鳥はなおも、声を張って、そ…

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