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オペラの辻
オペラのつじ
作品ID58344
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集1」 ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年1月24日
初出「婦人サロン」1932(昭和7)年5月号
入力者門田裕志
校正者いとうおちゃ
公開 / 更新2021-03-01 / 2021-02-26
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 巴里は世界の十字路といわれている。巴里の中でもブラス・ドゥ・オペラ(オペラの辻)は巴里の十字路といわれている。
 冬の日が暮れると神廟のようなオペラの建物は闇の中にいよいよ黒く静まり返える。オペラの開幕は八時だから今はまだその広い入口の敷石に衛戍の兵士が派手な制服で退屈な立番の足を踏み代えているだけである。その前にすぐ地下鉄の出入口が客を呑み吐きしている。オペラに向って左角がカフェ・ド・ユ・ラ・ペイユだ。竪縞に金文字入りの粋な日覆いを歩道まで遠く張り出して軽いテーブルと椅子に客はいつも一ぱいだ。さすがに風当りを防ぐ為めに硝子の屏風をたて廻し場の中央に円いストーブを燃している。しかし、戸外はやっぱり戸外だ。街路樹のマロニエの梢に切られて吹きおろす風は遊び女たちの肌にかみそりの刃のように当る。「おお、結構!」身ぶるいをした彼女はそういって、そこでいこじになってヴァニラとチョコレートと盛り分けのアイスクリームを誂える。巴里人達は窮屈嫌いで屈托嫌いで戸外好きだ。
 金魚が金魚を見物している。インコがインコを見物している。カフェの店先に衣裳を着飾って同じ衣裳を着飾った行人と眺め交わしている巴里の男女を見るとき、自分はいつもこう思う。それほど彼等は人間離れのした装飾物となってお互いに見惚れることにわれを忘れている。こういう場合、巴里の男女は情痴を却ってうるさいものとする。現代人の彼等は眼の楽しみだけで沢山だ。一々心まで掘下げてはやりきれないという。
 カフェの前が大通。オペラ通りを十字に横切ってイタリアン大通。界隈の男女達は潮のようにこの十字路へどよめきかかる。
 ルイ朝式の服を着たマダムがポケット猿を抱え人に揺られながら、アルジェリアの服装をした楽師風の男と猿の病気の話をしている。ウルトラヴィオレットの電光飾はほとんど町を硝子細工のようにした。二階造りのショーウィンドウに悉く燈がついて銀色のマネキン人形たちは白い支那絹に出来た緑の影を機械的に見せ合っている。
 二度目に自分等が巴里へ入ったとき(最初は私達は子どもだけパリへ置いてロンドンへ渡り約一年後に巴里に来た。)こどもが最初に私達を誘ったのはこのカフェ・ド・ユ・ラ・ペイユだった。
「なるほど美感の贅沢なこの子が巴里を好きで好きでたまらなかった筈だ」
 と私はその時思った。
「やっぱり巴里にこどもを取られる――仕方がないかしら」
 と私は私自身陶然として来る心のなかでうやむやにもがいた。
「まず、茲で往来の人を見なさい。それからご飯にしよう、ね」
 こどもはこんなにも巴里に馴れて来たのかとあきれたような心嬉しさだった。
 一年の間によくもこんなにフランス語がはなせるようになった。苦労の嫌いな子が嫌いな苦労ばかりして覚えたものとは思われない。好きなればこそ巴里に沁みつく子どもの心に語学もひとりでに沁みついたのだろう。…

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