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作品ID | 58346 |
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著者 | 岡本 かの子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「岡本かの子全集1」 ちくま文庫、筑摩書房 1994(平成6)年1月24日 |
初出 | 「女性」1925(大正14)年8月号 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | いとうおちゃ |
公開 / 更新 | 2024-03-01 / 2024-02-19 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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場所、東京、山の手の一隅、造作いやしからねど古りたる三間程の貸家建の茶の間、ささやかなれど掃き浄められて見好げなる庭を前にす。
晴れたる夏の朝、食後卓上の器具とりかたづけられぬ前、卓上には器具の真中に夏花の一輪挿し。室内の壁間ところどころに金縁、或は白木の手製らしき額縁にはめられたる油画。ある一二ヶ所にヴァイオリン一二挺掛けてある。
男二十四五、武骨なれども垢抜けたる風貌、洗いたての白地単衣、煙草をくゆらして長閑なる様。三分間の後、女出で来る。
女三十前後、美貌、ただし眼がかなり強い。片手に食後の果物皿、片手に、水色の小形封筒を持ち居る。派手なれどレファインされたる品よき着附、雪白のエプロン、男の傍に坐る。果実皿を卓上に置き封筒を突附ける様に男の前へ置く。男、一寸あわてて直ぐ落ち付く。
女。津田良雄様へ。第三信、松野すみ子よりって一たい何なの。
男。(封筒を一寸見やりて。)何でもありませんよ、こんなもの。
女。なんでもないことが……しかも第三信じぁないの。
男。(落ちつきて。)そうですよ。三本目の手紙ですもの。
女。まあ、私が外出勝ちなのを好いことにして、もう三本も手紙のやりとりしてるんですか。
男。やりとりじゃあありませんよ、向うから只呉れるだけなんですよ。
女。いくら只むこうから呉れるだけだって……ああ、私くやしい。
女横を向いて雪白のエプロンを眼にあてる。
男。(困りて。)だめですよ、直ぐあなたはそれだから、これ、何でもありゃしませんよ。
女。(眼からエプロンを取り。)何でもないものが第三信なんて。
男。だって向うから呉れるもの仕方がないや。
女。仕方がないなんて理窟が、この世の中にありますか、よ、さあ、早くお云いなさい、誰が、どういうわけで、あなたに、こんな手紙寄越すんだか。
男。松野って、そら二度ばかり家へ来た学校時代の友達があるでしょう。
女。ああ、一寸顔のととのった。
男。うむ、あれの妹ですよ、これは。松野が馬鹿に僕を崇拝するんで、妹にその気持ちが乗り移ったんですよ。その上この間のN展覧会場で一寸僕に会ったんですよ。僕の気象、とりわけ、貴女という孤独な兄の未亡人を深切に守って暮らして居るという事情が、女のセンチメンタルに会ったんでしょう、そして見ればそのわりに僕の風采が男らしいし絵も前途有望だとか何とかね。
女。で、その妹さん美人?
男。いいや、成っとらん。(横を向く。)
女。(顔少し和らぐ。)だから、返事出さなかったわけなの。顔が好ければ出したのね。
男。(女をやや凝視して。)顔の好悪の問題じあ[#「問題じあ」はママ]ないじゃありませんか、僕にあ貴女というものが……
女。(抑えるように。)まま、それは分っててよ。ではその手紙、とに角私に見せて。
男。さあどうぞ。
女。(読む。)御返事も頂けないのに幾度も押し進んで嘸あつかましく思召すでしょうが…