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智慧に埋れて
ちえにうもれて |
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作品ID | 58370 |
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著者 | 岡本 かの子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「岡本かの子全集1」 ちくま文庫、筑摩書房 1994(平成6)年1月24日 |
初出 | 「令女界」1929(昭和4)年6月号 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | いとうおちゃ |
公開 / 更新 | 2022-07-12 / 2022-06-26 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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私には親も同胞も無いのです。私は海岸に近い平野の森の中に棲んで居るのです。老僕夫妻が、私の棲んで居る小さな洋館とはまるで関係のない直ぐ傍の昔風の小さな日本家屋に生活して居るのです。私は遺産を近親の死から十五の年に得て清楚な暮しに一生涯事欠かない孤独な少女学究者なのです。日本語と英語フランス語を読むに欠かないだけの素養があるので別に学校などへは行かない。その代り以上の国語で書いた書物は欲しいだけ買えるのです。
世界のあらゆる思想や芸術は殆ど私の知って居る三つの国語に訳してあるのです。で、私は古今のあらゆる思想や芸術に世界的なタッチを持って居るのです。私はこの森に移るまで東京の山の手の最も優秀な小学校に居て其処を優秀な成績で出たきりです。
友達としては私の八歳の時から英語とフランス語を教えて居た青年学徒――私の稽古はその青年の高等学校生であった苦学時代から始まったのです――今は某官立大学のプロフェッサーとして洋行を終えて来ました。この人は私の十三四歳頃からツルゲニエフの温和や、トルストイの熱情や、アナトオルフランスの高雅やバルザックのエネルギッシュその他あらゆる系統の文学は殆ど一通り教えたと云ってもよいでしょう。そのくせ自分は法律学者なのです、そして私には法律に関する何事をも話しません。非常に眉目秀麗です。老僕夫妻はいまに私かその青年かのどちらかにアクチーブに出て結婚でもすることを予想し否、そうあれかしと望んで居るようなのです。彼等らしい考えです。が、私は、人間同志が直ぐにお互いの体温を利用して其処に何等かの結果を造るのを卑しみます。私は幸、青年が三ヶ年の留学中に殆ど対話出来るだけの知識と学問を自分で積んで置きました。想って見て下さい。十八の男童の様な体格の宜い瞳の冴え冴えした少女がしゃんと胸を張って額に森の青葉の色の反映する白皙の青年と寸分の隙もなく論談する――光景はそれだけで沢山、想像はそれ以上の享楽を欲しがらなくとも宜しい。
マダマ・アリサは私のフランス語の仕上げをして呉れるために――結果はそうなったのだが実は今長崎の果てに居る私のたった一人の叔母(キリスト教信者で縁家を逐われそれから何をそんな遠くでして居るのか)がわざわざ私の家事や手芸のために紹介してよこして呉れた外国婦人――三四年前から私の家へ出入りして居る。でも私はこの婦人から何も家事を覚えようとはしない。(お料理もフランス刺繍も)私は実に発音の正しいこの人のフランス語で一度に三時間位、フランス語の本を読んで貰うだけです。私は簡素なふだん着の縫い方をこの婦人に一つ習っただけです。
私はあらゆる場合に於て『頭』の宜い人を好む。小学校時代私より上級生を教えて居た高瀬由子は私の聡明な早熟な幼女の好みに一番適して居た。女教師は直きやめてフランスに渡りソルボンヌ大学の社会学科を終えて帰って来た。サン…