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かやの生立
かやのおいたち |
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作品ID | 58391 |
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著者 | 岡本 かの子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「岡本かの子全集1」 ちくま文庫、筑摩書房 1994(平成6)年1月24日 |
初出 | 「解放」1919(大正8)年12月号 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | いとうおちゃ |
公開 / 更新 | 2022-03-01 / 2022-02-25 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「かやの顔は、眼と口ばかりだな。どうも持参金付きの嫁入でもせにあならねえかな」と云ったりしていつも茶の間の長火鉢の側に坐って、煙草管をぽかんぽかんとたたいてばかり居る癖の、いくら大笑いに笑っても、苦笑いの様な表情しか出ないこのお爺さんが、かやの本当の祖父でないことは、このお爺さんが、時々――半年に一度くらい――寒い季候には茶色のむくむくした襟巻と、同じ色のとぼけた様な(御隠居さん帽子)を冠ったり、暑い時分にはお爺さんの胸板の辺によれよれして居る黄色っぽい幾筋かの皺が透いて見えるほどな、薄いぴらぴらな白地の着物や、光る羽織を着て、村にはまだ一台しか無いという「人力車」を、「由」という藁屋の息子から車夫になったという若者が、うちの長屋門の前へ、曳き寄せるのにひらりと乗って、
「ではな、二三日実家を見廻って来るからな」と云って、何となく機嫌好さ相に其処へ見送りに出て居るうちの者達にぼっくり首を下げて、やがて往来に添って建ち並んで居るかやの家の土蔵の尽きた処から曲って這入る横道へ、威勢よく人力車に隠れて仕舞うのである。この様なことにつけて、このお爺さんが本当の祖父でないことをかやも知って居たのである。そればかりでなく、かやの家には今一人、これと同じ種類のお媼さんが居たのである。お媼さんは薄い髪を切り下げにして幅のせまい黒繻子の丸帯を、貝の口に結び上げた、少し曲った腰を、たたきたたき、お爺さんが実家へ帰って留守の夜などはとりわけ広い家のなかをぐるぐる見廻って、下男や下女に、内外の戸締りなどを厳しく云うのであった。
このお媼さんも時々、お爺さんと同じ様に、「では、ま、一寸、かえって来るよ」などと云い出すのであった。でもそれは大抵、一年に一遍、お正月の頃であった。そしてやっぱり「由」の人力車を呼びにやるのであった。はきはきした「由」はじっきに、きりきりとした紺股引と紺足袋を穿いてやって来るのであった。女だけにお媼さんの仕度はお爺さんのよりかなり長かったので、「由」は随分待たされなければならなかった。その間、「由」は下男の吉蔵が焚火をして居る内庭へ薪割台など運んで来て腰をかけてあたたまって居る、膝に黒の碁盤縞の俥の前掛の毛布を、きちんと畳んで置いたりして。
俥は、真白に霜柱のたって居る門前の土の上に置かれてあった。くろぐろと塗り磨かれた車体も、その両側に付いて居る長い銀の編針を束ねてひろげた様な二つの車輪も、すべてつやつやと掃除が行き届いて居て、さわやかな朝の明るさのなかに、何か尊いものの様に見えるのであった。
「あら、あら、みんな来て見な」
などと一人が呼ぶと、朝飯前の遠走りを許されぬ近所の子守達には、とりわけ珍らしがられるのであった。
ばたばた、と五六人は直き集まって来て俥のまわりをぐるっと取りまいた。背中の赤ン坊が人が急に感付いた様に泣き出したりするのもあ…