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夏
なつ |
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作品ID | 58678 |
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副題 | 〔私が貧乏で〕 〔わたしがびんぼうで〕 |
著者 | 中原 中也 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店 2003(平成15)年11月25日 |
初出 | 「詩人時代」1935(昭和10)年8月号 |
入力者 | shiro |
校正者 | 館野浩美 |
公開 / 更新 | 2018-08-20 / 2018-07-27 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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私が貧乏で、旅行としいへば殆んど夏にしかしないからかも知れない、………夏と聞くと旅愁が湧いて来て、却々「夏は四季のうち、自然の最も旺んなる時なり」どころではない、なんだか哀れにも懐しいといつた風で、扨この夏はどうしようかなと思ふと、忽ちに嘗て旅した何処かの、暑い暑い風景が浮んで来て、おもへば遠く来つるかなと、そいつた気持に胸はふくらむで来るのである。
ゆらりゆらりと、柳が揺れてゐる、時々校庭を通り過ぎるのは小使か何かで、とまれ生徒ではない。剣道場の入口から、時々水を飲みに、剣道用の繻絆姿で現れるのは生徒だが、それは選手だから暑中休暇も帰省しないで道場にゐるといふわけである。繻絆の前をハダけて、靴をツツかけて水を飲みにゆく。そして、なんのことはない、私の顔を見ると人懐つこさうに勇ましがつてゐる。校庭は幾分赤味の勝つた砂の色で、閉ざされた教室々々の窓の硝子は雲母のやうに照れ返つてゐる。――これは嘗て旅行の途立寄つた兵庫県は御影師範の記憶である。私の中学の時の修身の先生が、今でもその師範の倫理の先生をしてゐて、其処の、学校の役宅にゐる。先生には今以て子供が出来ず、先生は夏はアツパツパーを着て読書をしたり午睡をしたりしてをられる。奥さんは、退屈さうだ。だが夕方が来ると、先生ははだしになつて家のまはりや庭に水を撒かれる、奥さんはかひがひしく夕餉の仕度をされる。私も水撒きの手伝ひをする。井戸からつるべで水汲むのだが、冷してある水瓜にあたらないやうに、つるべ槽を下ろさなければならない。暫時水瓜を上げておいてからすればいいのだけれど、先生は今日のみならず、何時でも水瓜を冷やしてある時は、冷やしたまんまで水を汲まれるのが常らしいから、一寸それを変更してはならないものの如くである。
芸もないことを書いて失敬。夏が来ると思ふと私の裡に浮んでくる感慨を書きたかつたのだが、その感慨といふのが、凡そ話になぞなる種類のものではなく、忽ちに変る停車場のプラットホームの一瞬の景色が、其の後永く印象に残つて、たつたそれしきのことにもせよ、眼に浮ぶたびには身も世もあらぬ気持になつたりもするのであるが、それを描き出さうといふには、私の筆はあんまり拙い。由来、その点、身も世もあらぬ思ひもあらば、また何かの形で、歌となつて出ることもあるであらうといふ、はかない念願を抱懐することに終つてゐる。
今年も旅をするであらう。今年は多分日向に赴く。若山牧水の生地の直ぐ隣りの部落に友人がゐて、来いといふ。行けばまた酒を飲むであらう。酒は殊に夏、私を非常に衰弱させるが、それで希はくは飲みたくないものだが、夜になつて月が山の端にのぞくと、詮方もないことだ、私は飲み出してしまふのである。
途中豊前長州に下りて、昔少年の日に一時暮した西光寺だの、其処から中津の町までゆく埃りのポコポコする土手の上の道、右は塩田で…