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芥川君との交際について
あくたがわくんとのこうさいについて |
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作品ID | 59326 |
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著者 | 萩原 朔太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「萩原朔太郎全集 第九卷」 筑摩書房 1976(昭和51)年5月25日 |
初出 | 「芥川龍之介全集 月報第六號」1935(昭和10)年4月 |
入力者 | きりんの手紙 |
校正者 | ニオブ |
公開 / 更新 | 2019-07-24 / 2019-06-28 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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芥川君と僕との交際は、死前わづか二三年位であつたが、質的には可なり深いところまで突つ込んだ交際だつた。「君と早く、もつと前から知り合ひになればよかつた。」と、芥川君も度々言つた。僕の方でも、同じやうな感想を抱いて居たので、突然自殺の報告に接した時は、裏切られたやうな怒と寂しさを感じた。
芥川君の性格には、一面社交的の素質があつたので、友人が非常に多かつた。しかし本當の打ちとけた親友といふものは、意外にすくないやうであつた。「僕の過去の悔恨は、友人が惡かつたことだ。」といふやうな意味の言葉さへも、或る時は沁々として僕にもらした。つまり芥川君は、自分と反對の性格で、自分の觀念上にイデアしてゐるものを、具體的に表出してくれるやうな友人が欲しかつたのだ。常々菊池寛氏を敬愛して「英雄」と呼んで居たのも、やはりその反性格の爲であつて、丁度あの神經質のボードレエルが、豪放で世俗的なユーゴーを崇敬して居たのと同じである。所が芥川君の周圍に集る人々は、たいていその同型な人物ばかりであつたので、交際の廣いわりに、心境が孤獨で寂しかつたのだらう。
かうした芥川君にとつて、室生犀星君や僕のやうな人間は、確かに變り種の友人だつたにちがひない。特に室生君には特殊の驚異を感じたらしく、常々「あんな珍しい男を見たことがない」と言つてゐた。芥川君の如くインテリ型の秀才肌で、文明人の纖細な神經から、社交的の禮節にのみ氣を疲らして居た人にとつて、室生君の自然兒的な野性や素朴性やは、たしかに痛快な驚異であり、英雄的にさへ見えたのだらう。(當時の室生君は、今よりもずつと甚だしく野性的であつた。)一方また室生君の方では、自分で深くその野性を羞恥して居り、常に「教養ある紳士」といふやうなことをイデアにして居たので、教養や趣味性の上で文化的にレフアインされた芥川君が、世にも珍しく理想の人物に思はれたのである。僕がまだ芥川君を知らない中、よく室生君は僕に話して「彼の如き文明人種、彼の如き禮節ある人物を見たことが無い。」と言つて、事々に感嘆の辭をもらして居た。後年に於ける室生君の教養と趣味生活とは、芥川君との交際によつて學ぶ所が確かにあつた。
僕との交際に於ては、どこが芥川君の興味をひいたのか解らない。多分僕の性格中にあるニヒリスチツクの傾向や、多分にアナアキスチツクの氣質やに、別の意味の關心を持つたのだらう。「河童」が雜誌に載つた時、僕の推賞に對して、芥川君は「君に讀んでもらひたかつたのだよ」と言つた。その後も新作が出る毎に、僕の意見をよく求められ、自分のデタラメな獨斷批評を、熱心によく傾聽してくれた。一方また芥川君の方でも、僕の詩などをよく讀んでくれ、時々適切な批評をしてくれた。僕の詩の中では、郷土望景詩數篇が最も氣に入つたらしく、口を極めて賞讚してくれた。
他の多くの友人に對して、芥川君は常に…